今回は神田明神の天野屋にある甘酒と味噌おでんを紹介しよう。
天野屋は神田明神の脇にある老舗の甘酒屋だが、甘酒と同じく自家製の糀(こうじ)を使用した味噌や納豆も製造している。店内では甘酒とともに味噌おでんを提供している。
180年近く続く老舗の甘酒屋、神田明神の天野屋
千代田区神田と文京区湯島・本郷地区にある歴史の深い街、御茶ノ水。神田川にはお茶の水橋や聖橋が架かり、御茶ノ水駅には丸の内線や中央線などが走る。
御茶ノ水駅は大規模な改良工事が行われ、東京医科歯科大学は東京科学大学に名称が変わったが、水と緑が交錯する街の美しさは変わっていない。とくに神田川の北側にある湯島聖堂周辺は、季節を問わず野鳥のさえずりが聞こえてくる。
今回紹介する天野屋は神田明神の大鳥居の脇で営業する甘酒屋だ。江戸時代の弘化3年(1846年)に創業し、現在まで180年近く続く東京の老舗だ。
どぶろく製造からはじまり、甘酒や味噌、納豆を製造している。創業者は京都から弟の仇打ちのために江戸にやってきた侍で、相手を見つけるために神田明神の脇にお店を開いたという。
店舗の地下6mには糀室(こうじむろ。土室・つちむろとも言う)があり、そこで糀をつくっている。明治37年(1904年)に建造され、関東大震災や戦争の空襲にも崩れることなく、現在も使用されている。平成21年(2009年)には千代田区指定有形文化財に指定されている。
お店は向かって右側が商品売り場、左側が喫茶室となっている。店内で行き来はできないので、移動する際は一旦外に出よう。
喫茶室はアンティークの品々が並んだ趣のある雰囲気になっている。鉄道模型やランプ、振り子時計などが飾られている。
雑然としながらも不思議と整然とした雰囲気を感じる室内でゆっくり甘酒を味わえる。飾られている品はどれも歴代主人のコレクションとなっている。
お目当ての味噌おでんと甘酒に加え、お餅のセットをオーダーした。甘酒は温かいものと冷たいものを選択できる。お餅は磯辺餅とあべかわ餅が選べ、ふたつを組み合わせることもできる。
座席で注文と会計を済ませると、さっそく甘酒が運ばれてきた。地下の糀室でつくられた糀と米だけを使用しているが、まるで砂糖を入れているのではと思うほど甘みを感じる。しかし、その甘さはぬくもりがありながらも透き通るような清らかさがある。
糀は道具を使わず人間の手で混ぜてほぐし、1週間ほどかけて丁寧につくられるそうだ。ひと口ごとに感じる上品な甘みに、作り手の気持ちが甘酒に溶け込んでいるように思える。
味噌おでんを待ちながらカメラのファインダーを覗いていると、お店の方から声をかけていただいた。5代目女将の妹である天野史子さんは窓越しの庭にある桜の枝を指差し、それが啓翁桜(けいおうざくら)であることを教えてくれた。
桜は大きな水瓶のなかにたくさん入れてあり、枝には数えきれないほど蕾がついていた。啓翁桜は寒緋桜(かんひざくら)の一種で、早春を告げる桜として親しまれている。
この季節になると山形から送られてくるそうで、今年はすでに開花したという。たくさんの蕾のある枝のてっぺんに目をやると、淡いピンクの可憐な姿を発見できた。
植えてある植物を眺めながら「サザンカは花が散るから掃除が大変ですよね」だとか「神田明神の梅はもう満開よ」だとか、訪れつつある春についてしばらく会話する。甘酒と同様にやさしいぬくもりのある天野屋の雰囲気は、いつまでもくつろいでいたいと思わせる居心地のよさを感じる。
ほどなくして味噌おでんも運ばれてきた。熱々に茹でたこんにゃくに田楽味噌がたっぷりかかっている。この田楽味噌は商品として販売しているが、喫茶室のお客さんから「分けてほしい」と要望があったことで商品化したという。甘酒と同様にまろやかな甘さが魅力で、こんにゃくとの相性も抜群だ。
洋からしもついていたので試しにつけてみたが、からしのつんとした芳香がよいアクセントとなった。味変として試してみるといいだろう。
お餅は味噌おでんの後にやってきた。ふっくらしていて、手づくりの風合いに懐かしさを感じる。磯辺餅とあべかわ餅はしょっぱさと甘さを交互に味わえて得した気分になる。
のんびりとくつろぎながら楽しみたいなら、人が少ない開店直後に訪れるといいだろう。一方で、賑わう店内を眺めるのも楽しいと思う。
帰りは商品売り場へお邪魔して、本日いただいた甘酒と田楽味噌、そして筆者が大好物の芝﨑納豆を購入した。売り場には生糀や漬物、飴なども販売している。
天野屋の甘酒や味噌おでんを自宅で楽しむ
天野屋を出て神田明神に参拝したあと、帰宅して味噌おでんを再現してみた。
甘酒の素は無加熱と加熱殺菌したものが選べる。無加熱のものは糀の酵母が生きているが、持ち帰りに半日ほどかかる場合は加熱殺菌したものをおすすめする。
甘酒の素の2倍の量の水を加えてひと煮立ちさせたらできあがりだ。少々塩を加えるとより甘みが引き立つ。お店とはまた違った、自宅のゆったりとした雰囲気を味わいたい。
田楽味噌はこんにゃくを茹でて上にかければ完成だ。ふろふき大根などにしても美味しく、さまざまな使い道があるだろう。
芝﨑納豆は大粒の大豆が魅力の品だ。実は筆者の母は医科歯科大の研究室で働いていて、その縁もあって筆者は医科歯科大で生まれた。幼き頃は母と病院に行った帰りに天野屋でこの納豆を購入し、家でよく食べていた。デパートなどの量販店でも販売しているので、目にするとよく購入している。
神田明神だけでなく天野屋の外の梅も咲いていると教えてくれたので、お店を出たあとに探してみた。まだ開いていない蕾もぷくぷくと膨らんでいて、春はもう間近であることが感じられた。
日々の生活に追われていると「暑い、寒い」くらいしか感じずに、季節の移り変わりを気に留めないまま過ごしてしまう。春に花が咲くのは当たり前のことだが、その「当たり前」に生きる喜びが潜んでいるように思う。180年の間、神田明神の脇で変わらず作られる天野屋の甘酒や味噌を味わえることも、生きる喜びを感じずにはいられない。天野屋は巡りゆく季節と同じように、この先もずっと存在し続けてもらいたいと思う。
天野屋の基本情報
天野屋
〒101-0021 東京都千代田区外神田2-18-15
03-3251-7911
定休日:火曜(祝日は営業)、海の日、8/10〜8/17
営業時間:10:00〜17:00(喫茶部10:00〜16:00)
天野屋のWebサイト、オンラインショップ