大国屋の系譜

かつて東京には大国屋の屋号を持つおでん種専門店が数多く存在していた。最近では墨田区の京島、葛飾区の柴又、渋谷区の幡ヶ谷の3店舗が残っていたが、幡ヶ谷店は2019年12月に閉業してしまった。今回は大国屋の歴史を振り返ってみたい。

東京のおでん種専門店:大国屋の系譜

すべては芝宇田川町の大国屋からはじまった

大国屋という屋号で最も古いと思われるのは、港区の芝宇田川町(渋谷ではなく現在の浜松町一丁目交差点あたり)のお店だ。創業年は不明だが、かつてこのお店で修行していた増田屋の元祖である中山彦太郎氏が明治20年(1887年)頃に弟子入りしていたという情報があるため、明治時代にはすでに存在していたようだ。

東京都港区浜松町:浜松町一丁目交差点

芝宇田川町の大国屋ははんぺんの卸売が主体で、地方からやってくる多くの若手職人を抱えていたという。揚げ蒲鉾も職人たちが当時の流行にあやかって、作り方を勉強して製造していたという。

柴又の大国屋の店主によると、東京タワーが建つことによって昭和28年(1953年)にお店は立ち退きになり、職人たちは東京のあちこちに散らばっていった。その先で自分たちの店を開き、大国屋の屋号を受け継いでいったのだという。

東京都港区浜松町:浜松町一丁目交差点

ちなみに、芝宇田川町と東京タワーは離れているので、立ち退きに関しては影響はなかったと思われる。芝宇田川町は現在の浜松町一丁目交差点周辺(港区東新橋2丁目、新橋6丁目、浜松町1丁目、芝大門1丁目あたり)のため、その場所を通る第一京浜(国道15号)の道路拡幅の関係で立ち退きになったのではと推測している。

東京都品川区中延:蒲眞の店内に飾られてある蒲貞の看板

芝宇田川町の大国屋の存在については資料はあまり残っていないが、荏原中延の蒲眞の店内に掲げられた品川区不動前の蒲貞の看板に「芝公園大国屋」という屋号が並んでいた。これはおそらく、芝宇田川町の大国屋のことだと思われる。

芝宇田川町から独立した京島の大国屋

墨田区の下町人情キラキラ橘商店街にある大国屋(京島)の初代店主は、芝宇田川町の大国屋から独立した職人のひとりだ。一緒に働いていた若い職人たちのリーダー的な存在で、奥様も一緒に働いていたのだという。

東京都墨田区京島:下町人情キラキラ橘商店街(向島橘銀座商店街):大国屋

昭和27年(1952年)に京島で開業し、現在は初代の長男に引き継がれている。キラキラ橘商店街の入り口付近に店舗があり、おでん種を求めるお客さんでいつも人だかりができている。商店街を代表する人気店だ。

東京都墨田区京島:下町人情キラキラ橘商店街(向島橘銀座商店街):大国屋のおでん種

お店の正面にあるショーケースには、たくさんの種類のおでん種が並んでいる。定番もののほかに、スカイツリーの形をしたものなど変わり種も豊富だ。

東京都墨田区京島:下町人情キラキラ橘商店街(向島橘銀座商店街):大国屋のおでん

見ているだけでよだれの垂れてくる調理済みのできたておでんもある。家に持ち帰って温め直せば、すぐに味の染みた極上おでんを楽しめる。

東京都墨田区京島:下町人情キラキラ橘商店街(向島橘銀座商店街):大国屋のおでん種

最近では他店から仕入れることの多い、はんぺんや魚のすじもこのお店で手づくりしている。おでん汁もオリジナルのものを取り扱っていたりと、おでん種に対する手づくりのこだわりが強い。現在は息子さんがお店を引き継ぐか未定だが、こだわりの味と大国屋の屋号が残り続けることを願ってやまない。

京島店主の弟さんが経営する柴又の大国屋

葛飾区の柴又には大国屋の店主の弟さんが経営する大国屋(柴又)がある。帝釈天の参道の反対側、柴又駅を起点にして南側に位置している。

東京都墨田区柴又 大正通り商明会:大国屋(柴又)

店主はお兄さまと同じ京島の大国屋で一緒に働いたあと、同じ商店街にオープンした2軒目の営業をしばらく任されていた。昭和62年(1987年)になってご結婚され、それを機に柴又の地に移ってご自身のお店を開業したそうだ。

東京都墨田区柴又 大正通り商明会:大国屋(柴又)

お店の奥には、屋号が入った木製の看板が飾ってあった。暖簾分けした多くの大国屋の屋号が並んでいる。右端の向島の大国屋本店は京島のお店のことだ。そのほか、堀切(葛飾区)、初台(渋谷区)、松江(江戸川区)、稲付(北区)、田無(西東京市)、三鷹(西東京市)、柳沢(西東京市)と続く。東京のあらゆる地域に広がっていったことがわかる。

東京都墨田区柴又 大正通り商明会:大国屋(柴又)

柴又の大国屋で人気なのが、店頭で販売するできたてのおでんだ。柴又散策のお供として観光客に愛されている。また、夏期に販売しているかき氷も人気だ。130円から販売していて、帝釈天参道で買うよりも圧倒的にコストパフォーマンスがよい。

東京都墨田区柴又 大正通り商明会:大国屋(柴又)

練り物のおでん種のラインナップはシンプルで定番のものが多いが、サイズがとても大きい。すぐに売り切れてしまうため、出来上がり時間を見計らっていくといいだろう。

2019年12月に閉業した幡ヶ谷の大国屋

初台駅近くの不動通り商店街にあった幡ヶ谷の大国屋は、残念ながら2019年12月に閉業してしまった。

東京都渋谷区本町2丁目 不動通り商店街:大国屋

初代店主は芝宇田川町のお店で修行後、約60年前に幡ヶ谷でこのお店を始めた。それから40年経ったあとに店主が引退して店を閉じることになったが、甥である二代目が引き継ぐことになり、昨年まで営業を続けた。

二代目店主のご夫婦はおふたりとも幡ヶ谷店で修行をしたあと結婚して独立し、北区西ケ原の霜降橋の商店街(霜降銀座商店街)で同じ屋号「大国屋」で営業していた。幡ヶ谷店の危機を聞きつけて自身のお店を閉じて、幡ヶ谷店を存続させることを選んだのだという。

東京都渋谷区本町2丁目 不動通り商店街:大国屋

幡ヶ谷店には柴又店と同じく、木製の看板が飾ってあった。この2つの看板を比較するとそっくりで、どうやら製作者が同じだ。いちばん右側の大国屋総本店はおそらく京島店であり、堀切(葛飾区)、吾嬬町(葛飾区)、松江(江戸川区)、稲付(北区)、田無(西東京市)、柳沢(西東京市)、三鷹(三鷹市)と続く。中央を挟んで右側は芝宇田川町時代からのつながりらしい。

左側は幡ヶ谷店から暖簾分けしたお店であり、親戚関連が多いそうだ。右から鍋横(中野区)、板橋(板橋区)、目黒(目黒区)、砂町(江東区)、滝野川(北区)と続く。滝野川店は二代目店主ご夫婦が営業していた北区西ケ原のお店ではなく、お友達が経営されていたお店とのこと。

東京都渋谷区本町2丁目 不動通り商店街:大国屋

幡ヶ谷の大国屋はじゃがべー揚げやかぼちゃ揚げなど変わり種が多く揃っていた。また、天ぷらやポテトサラダ、カレー丼などお惣菜も取り揃えていて、地元客に好評だったという。

東京都渋谷区本町2丁目 不動通り商店街:大国屋

店主ご夫婦も高齢だったこともあり、馴染み客に惜しまれながらも閉業してしまった。京島店も柴又店も今のところ後継者が決まっていないことから、しばらくすると大国屋の屋号が消えてしまうことになる。

20軒ほどあった店舗が2軒に減少

はんぺんの卸業をおこなっていた芝宇田川町の大国屋からはじまり、東京の各地に暖簾分けで広がっていった大国屋。柴又店と幡ヶ谷店の看板などからカウントするだけで約15軒、また昭和50年(1975年)版の蒲鉾年鑑によると、大国屋の屋号が付くものはほかに5軒ほどあった。つまり、20軒ほどあったということになる。

明治時代から約120年の間、大国屋の看板のもとで多くの職人たちが夢を追い求めて技術を追求し、人々に笑顔を届けていたが、現在では2軒を残すのみとなった。この栄枯盛衰を目の当たりにして、お店や食文化を継続、継承していく難しさを考えさせられた。

京島と柴又の店主には、お身体を大切にしていただきながら、すこしでも長く大国屋の屋号を守り続けていただきたいと思う。

大国屋(京島)の基本情報

大国屋
〒131-0046 東京都墨田区京島3-43-8
03-3611-5289
定休日:日曜、正月
営業時間:10:00~19:30

大国屋(柴又)の基本情報

大国屋
〒125-0052 東京都葛飾区柴又4-11-3
03-3673-9489
定休日:不定休
営業時間:11:00~19:30

【2019年12月閉業】大国屋(幡ヶ谷)の基本情報

大国屋
〒151-0071 東京都渋谷区本町2-39-1
03-3377-6858
定休日:日曜・不定休
営業時間:10:00~18:30(商品が揃うのは午後から)
大国屋(幡ヶ谷)のWebサイト【終了】

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