おでんのなると巻

なると巻は静岡おでんを代表するおでん種だが、東京のおでん種専門店で必ずといっていいほど販売されている。今回はおでん以外にも活躍するなると巻について発祥や歴史について紹介したいと思う。

おでんのなると巻

なると巻は紅白2色の魚のすり身を重ねて巻いた蒲鉾の一種だ。蒲鉾の分野では伊達巻などと一緒に「巻き蒲鉾」のカテゴリーに分類され、全国各地でさまざまな種類が作られている。

カネ久商店(静岡県 焼津) おでん種:なると巻

小口切りした断面に渦巻きの模様ができ、鳴門海峡の渦潮に似ていることからその名がついたといわれているが、文献に明確な記載はない。

なると巻の発祥と主要生産地

食材としての「なると」の名称が登場したのは幕末の弘化3年(1846年)、嗜蒻陳人(しにゃくちんじん)の料理本「蒟蒻百珍」に記載がある。

嗜蒻陳人著「蒟蒻百珍」国立国会図書館
嗜蒻陳人著「蒟蒻百珍」国立国会図書館デジタルコレクション

「くはしこんぶを敷きその上へ平作なるをひたとならべ湯波をしき其上にすり肉魚をうすくのべ小口より巻煮ものさしこみ又は取ざかな」とある。今日のような魚のすり身だけでなく、昆布や湯葉なども用いていたようだ。また、なるとの名称はないが巻き蒲鉾としては室町時代以前の文献にも多数記載されているのでかなりの歴史があるようだ(参考:紀文「【練りもの】教室基礎:練りもの図鑑 なると巻」)。

お吸い物などに利用されてきたことは想像に難くないが、麺類に入れるようになったのは明治中期から後期の五目蕎麦からだという(参考:なると専門店北村「なると巻とは?」)。

現在、静岡県の焼津市が国内消費分の9割を生産しているそうで(参考:焼津市魚仲水産加工業協同組合)、焼津市を代表する名産品となっている。焼津市では鰹節の製造が盛んだったが、冬のシーズンオフにはなると巻やそのほかの蒲鉾製品を生産していたことと、東京への運搬が容易な場所であったため(戦後は東海道本線の貨物列車で大量に運んでいた)盛んになったそうだ。

おでんのなると巻(静岡県焼津市)

東京のおでん種専門店でも焼津市の勢力範囲を知ることができる。各店でなると巻を揃えているが、仕入れ先はカクヤマ(増田屋(堀切)柳屋蒲鉾店丸忠かまぼこ店)、 サスウ篠宮商店(佃忠(向島)佃忠(池袋))、カネ久商店小田原屋)、ヤマ正商店(九州屋蒲鉾店)など、どれも焼津市のメーカーだ。

おでんのなると巻

おでん種専門店のなると巻はパック製品だけでなく、店頭で調理したできたておでんにも登場する。鍋を覗くと紅白の彩りが淡い褐色に染まり、味が染みていることがよくわかる。串に刺した長い形状のものがほとんどで、1本食べるだけで小腹をしっかり満たすことができる。一説によるとなると巻は静岡おでん特有の具材のようだが、東京でも愛されていることがわかる。ちなみにおそ松くんのチビ太のおでんの一品(四角いもの)も、なると巻なのだそうだ。

おでんのなると巻の調理方法

自分でも簡単に調理できる。まず、なると巻に斜めに包丁を入れて適当な長さに切り分ける。

おでんのなると巻(サスウ篠宮商店)

ラーメンのときのように薄く切るのではなく、太めに切ると肉厚の食感を楽しめる。断面を垂直に入れるのもありだが、おでん汁に馴染ませたいなら斜めに切るといいだろう。ちなみに佃忠(池袋)では、薪のように割った珍しい切り方をしている。

おでんのなると巻

切った後はおでん鍋に投入するだけでいい。投入するタイミングは大体火を消す15分前辺り。あまり長く煮てしまうと、なると巻のうまみが汁に逃げてしまう。味を染み込ませたければ火を止めてからしばらく置いておけばいいだろう。

東京都墨田区向島 鳩の街通り商店街:佃忠蒲鉾店のおでん種

最近はなると巻を見かける機会はかなり減った。ひと昔前は中華そばに入っていたが、現在ではほとんど見かけなくなってしまった。見た目の華やかさが邪魔しているのか、お店の個性を出しにくいのか、その理由は定かではない。しかし、なると巻の彩りとフォルム、栄養豊富で魚のうまみを凝縮した美味しさは時代に関係なく魅力的だと思う。おでんを通して、多くの人々にその素晴らしさを再認識してもらいたい。

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