今回は東京都蒲鉾水産加工業協同組合(通称、東蒲組合)で発行されていた東蒲新聞について紹介していきたいと思う。
東蒲組合は昭和41年(1966年)から令和4年(2022年)まで活動していた東京の蒲鉾業者による組合で、ピーク時は272軒が加盟していた。前身は魚河岸が日本橋あった頃に発足した東京蒲鉾商組合であり、組合法などの準拠により何度か名前を変えながら、業界の発展に寄与してきた。
その機関紙となる東蒲新聞は昭和43年(1968年)8月に創刊し、東蒲組合が解散するまでの間に毎月1回、のちに2ヶ月に1回発行されていた。号数は426を数え、その時々の蒲鉾を取り巻く時代の様子を詳細に記録していた。最も組合員が多かった時期の紙面には、東京独自の伝統的なはんぺんづくりの研究会の様子が掲載されていたり、東京名物の新商品を生み出すべく各方面の専門家を交えて議論をしていたりと興味深い内容のものが多い。誌面からは若い職人たちが古くから続く技術を吸収して新しいものを作り出そうと情熱を注いでいる姿が目に浮かび、高齢化が進む現在と比較すると隔世の感を禁じ得ない。古参の職人たちが扱っていた原料魚や加工方法についても掲載されており、東京の蒲鉾やおでんを紐解くうえで非常に貴重な資料となっている。
東京おでんだねはこの東蒲新聞を読ませていただく機会を得て、参考資料として何度も使用させていただいている。令和6年(2024年)には有志の方々によって東蒲新聞がバックナンバーCDとしてデジタル化された。東京の蒲鉾の歴史が詰まった資料がデジタル化されるのは非常に有意義なことである。
有志の方々のご尽力の賜物だが、とりわけ、このプロジェクトの中心人物であるどい事務所の土井雄弘氏の功績が大きい。土井氏は東蒲新聞のほか水産煉製品新聞の編集長をつとめ、TVなどのメディアにも出演して蒲鉾の普及に貢献してきた。筆者は業界関係者でないにもかかわらずあたたかく接していただき、相談にも度々のっていただいた。昨年急逝されたが、土井氏の執筆した素晴らしい記事の数々はいつまでも残り続ける。筆者も東京のおでんや練り物を扱うメディアとして、土井氏の偉業にすこしでも近づけたらと思っている。