東京のおでん種屋さんの歴史:日本橋魚河岸

東京のおでんの歴史、それは蒲鉾の歴史でもある。なぜなら、おでん種専門店とは蒲鉾屋のことを指すからだ。近代から現代までの蒲鉾の歴史をひもとくと、東京のおでん種専門店がどのような経緯で現在に至ったかを知る手がかりとなる。

一立斎広重著「東都名所 日本橋真景并ニ魚市全図」国立国会図書館
一立斎広重著「東都名所 日本橋真景并ニ魚市全図」国立国会図書館

今回は東京都蒲鉾水産加工業協同組合が発行している書籍「東京のかまぼこの歴史」から、日本橋に存在した魚河岸と蒲鉾業者の関係について紹介したいと思う。

「東京のかまぼこの歴史」との出会い

東京おでんだねは東京に点在するおでん種専門店をめぐり、店主たちからお店の成り立ちや各店の関係性などを調査してまわっている。何年前に創業したのか、どのように暖簾分けがなされていったのか、店主に直接うかがうことで貴重な情報を得ることが多い。しかし、過去のことを知る人々は年々少なくなり、とりわけ明治、大正といった古い歴史を知ることは困難になった。また、俯瞰した情報を得ることができず、フィールドワークだけではいささか非効率であった。

「東京のかまぼこの歴史」東京都蒲鉾水産加工業協同組合発行、食糧市場新聞社制作協力

そんななか、東京都蒲鉾水産加工業協同組合(通称、東京蒲鉾組合、東蒲)から発行している「東京のかまぼこの歴史」という小冊子を贈っていただく幸運に恵まれ、明治あたりから現在までの東京の蒲鉾の歴史をずいぶん詳しく知ることができた。

今回は江戸時代から大正時代まで日本橋に存在した魚河岸と蒲鉾屋の関係について紹介したいと思う。

日本橋魚河岸の歴史

日本橋魚河岸は、徳川家康が入府する際に大阪から佃島に移住してきた漁師たちが始めたと伝えられている。彼らは将軍や大名たちへ鯛などの御用魚を優先して納めるかわりに、余った魚介類を市内に売り出すことを許可された。

東京都中央区日本橋室町:日本橋魚河岸跡(乙姫の広場)
東京都中央区日本橋室町:日本橋魚河岸跡(乙姫の広場)

時代が進むにつれて江戸の人口は爆発的に増え続け、水産物の需要は大きく膨れあがった。近海から集まってきた魚介類は桟橋に横付けされた平田舟の上で取引され、表納屋の店先で板(板舟)に並べられて売買されていたという。

東京都中央区日本橋室町:日本橋魚河岸跡(乙姫の広場)

日本橋から江戸橋にかけての日本橋川沿いが中心となり、魚市は本船町、小田原町、安針町(現在の室町一丁目、本町一丁目一帯)の広い範囲に拡大し、大変な賑わいをみせていた。
一般的に水産物の卸売市場は築地市場のイメージが強いが、大正12年(1923年)の関東大震災の被害による築地移転までは、日本橋の魚河岸が江戸・東京の巨大な胃袋を満たしていたのだ。

日本橋のたもとにある乙姫の広場には、日本橋魚河岸の歴史が詳しく書かれた説明板がある。訪れた際はぜひチェックしておきたいところだ。

魚河岸と蒲鉾業者の関係

巨大市場として賑わいをみせる日本橋魚河岸には、蒲鉾を製造する業者も多く存在したと思われる。「東京のかまぼこの歴史」の考察を紹介しよう。

國安箸「日本橋魚市繁栄図」国立国会図書館
國安箸「日本橋魚市繁栄図」国立国会図書館

幕府開府とともにまず、大名、武家がここに居を構え、その需要を充足するため、先進地帯である関西方面から、どっと品物が流入した。当然、流通面を担当する商人たちが入り込み、職人たちがこれに次ぐ。
関西のかまぼこ職人たちも、このような人口の大移動のなかで西から東へと移り住んでいったことは想像に難くない。

(引用:「東京のかまぼこの歴史」東京都蒲鉾水産加工業協同組合発行、食糧市場新聞社制作協力、昭和60年5月31日発行)

幕府や大名の需要を満たすため、先進地帯の関西方面から品物が流入し、商人や職人も移住し、そのなかに蒲鉾職人もいたのではないかと推察している。

小川一真出版部「東京風景」国立国会図書館
小川一真出版部「東京風景」国立国会図書館

日本橋魚河岸は、江戸・東京の蒲鉾業者の発展や特色の形成において大きな影響力を持っていたことがうかがい知れる。

当時の漁業は天候や漁獲量の良し悪しによって入荷量が大きく左右された。現在のように冷凍保存の技術が確立されていなかったため、大量に入荷した場合は廃棄するしかなかった。二束三文の価値となった魚は蒲鉾業者に買い取られ、日持ちする蒲鉾に加工された。魚河岸と蒲鉾業者はこのように、互恵関係にあったのだ。

京都中央区1 日本橋:日本橋

他地域とは比較にならないくらい膨大な種類の魚が入荷していたことと、余った魚を一手に引き受けていた経緯から、江戸の蒲鉾職人はさまざまな種類の魚を使って蒲鉾(練り物)を作り出す技術を身に付けた。東京のおでん種専門店では現在でも、冷凍すり身を使わずその日に入荷した鮮魚を捌いて練り物を手作りしているところが多い。これは他ではあまり見られない東京ならではのこだわりだ。

次第に蒲鉾業者は日本橋から東京の各地へ広がっていく。「東京のかまぼこの歴史」では、日本橋通りの延長線上を神田、上野、下谷、浅草方面に分布していったのだろうと推察している。築地移転までは神茂、伏虎、高八、扇屋、水辰、佃権のほか(蒲清の広谷憲太郎氏の証言)、ほかの文献によれば19軒の蒲鉾専業仲買が存在していたようだ。

日本橋魚河岸跡をめぐる

現代の日本橋を歩いて、魚河岸の名残があるか探ってみよう。残念ながら、かつて漁師や商人たちで賑わいでいた雰囲気はほとんど残っていない。

京都中央区1 日本橋:日本橋

現在の日本橋川は首都高速道路の高架が覆い尽くしていていささか暗い印象を受ける。日本橋から北東側は、かつて納屋がたくさん並び、多くの平田舟が横付けされた場所だ。この記事に掲載されている「東都名所 日本橋真景并ニ魚市全図」や「日本橋魚市繁栄図」において、納屋が立ち並ぶエリアだ。

京都中央区1 日本橋:日本橋川

日本橋から北西側(上写真右側)は、裏河岸などと呼ばれたそうだ。陸地は釘や金物を扱うお店が並び、釘店(くぎだな)と呼ばれていたらしい。

京都中央区1 日本橋:日本橋川

日本橋から東へひとつ隣に架かる江戸橋から日本橋方面を眺めた風景。南側(上写真左側)の四日市町には、干し魚などを扱う問屋があったそうだ。現在は首都高速道路の迫力にただただ圧倒される。

東京都中央区日本橋室町

目抜き通りとなる日本橋通りは三越やマンダリン オリエンタル東京、コレド室町などが並ぶ。風景は様変わりしたが、人が行き交う繁華街であることには変わりない。山本山木屋など江戸時代から続く老舗も残っている。手前の鰹節の大和屋も江戸末期の創業だ。

東京都中央区日本橋本町:鳥萬

本町一丁目は建て替えが進み、古き良き風情を残す建物は少なくなっているが、小さな敷地が点在する様子から、かつて魚市が広がっていた雰囲気を辛うじて感じることができる。

東京都中央区日本橋本町:鳥萬

昔からあった建物が取り壊されている光景も目にする。大正時代から続いた鳥問屋の鳥萬も閉店、向かいにあった昭和8年(1933年)創業の大勝軒の建物はすでに取り壊されていた。

東京都中央区日本橋本町:鳥萬

さまざまな理由で古い建造物やお店がなくなるのは致し方ないが、やはり残念な気持ちになる。

日本橋魚河岸とともに歴史を歩んできた神茂

時代が移り変わるなか、今も日本橋で営業する蒲鉾とはんぺんの専門店が神茂だ。創業は元禄元年(1688年)、330年以上の歴史を持ち、日本橋の魚河岸時代にも存在していた老舗だ。創始者は和歌山方面の出身であるため、江戸の賑わいを知って日本橋魚河岸へやってきた関西人のひとりだと推察できる。

東京都中央区日本橋室町:神茂

神茂は以前の記事でも紹介しているが、かつては宮内庁の出入りが許されるなど高い評価を得てきた。特に「手取りはんぺん」と呼ばれるふわふわのはんぺんが有名で、日本橋三越本店など首都圏の高級デパートで取り扱われている。

東京都中央区日本橋室町:神茂のおでん種 さつま揚

神茂がおでん種の練り物を扱いはじめたのは戦後からで、当初は別の蒲鉾店に委託していたという噂もある。さつま揚は戦後当時の製法を踏襲し、黒ごまと人参、アジの量を増やし、おでんにした時に味がしみやすくなっているという(参考:神茂のWebサイトより)。

東京都中央区日本橋室町:神茂のおでん種

日本橋散策を終えて、神茂でおでん種を購入して家に戻ってきた。
購入したのは8種類。時計回りに12時から、さつま揚、ほたて揚、つみれ、たこ蔵、すじ、上揚やさい、半月(中央)。このほかにちくわぶも購入。

東京都中央区日本橋室町:神茂のおでん種

今回は少なめなので、さっと調理してお皿に盛り付けた。神茂のおでん種は丁寧な作りで上品な味なので、あまり煮込まないほうがいい。

東京都中央区日本橋室町:神茂のおでん種 さつま揚

さつま揚は前述のとおり、黒ごまと人参が入っている。黒ごまの香ばしさと人参の甘い芳香が上品な魚のすり身の味を引き立てている。

東京都中央区日本橋室町:神茂のおでん種 上揚やさい

上揚やさいは細かく刻んだ人参、インゲン、キクラゲが入っている。そのまま食べればサクサクとした食感が楽しめ、おでんにして食べればそれぞれの具材のうまみがじわっと広がって美味しい。

東京都中央区日本橋室町:神茂のおでん種 ほたて揚

ほたて揚はホタテが丸ごとひとつ入った贅沢なおでん種。薄口のおでん汁で調理して、ホタテから滲み出る出汁を楽しむのもいいだろう。

東京都中央区日本橋室町:神茂のおでん種 つみれ

つみれはアジのすり身が中心となっているだけあって、臭みがなく上品な印象。すり具合も細かく、料亭の一品といった雰囲気だ。

東京都中央区日本橋室町:神茂のおでん種 たこ蔵

たこ蔵は期間限定商品。丸く形作ったイイダコのすり身に可愛らしい脚がくっついていてなんともフォトジェニック。ほのかに香るタコの風味がとてもよい。

東京都中央区日本橋室町:神茂のおでん種 すじ

すじは神茂を代表するおでん種。アオザメとスケトウダラが原料の半ぺんの2番肉を使った本格的なものだ。歌舞伎界では若手で筋のいい役者に「あの野郎、ちょっとカンモだねえ」という言い方があるそうだ。

東京都中央区日本橋室町:神茂のおでん種 半月(半ぺん)

半月(半ぺん)はさすがは神茂と唸る、滑らかな舌触りとサメのうまみが素晴らしい逸品だ。神茂のWebサイトによると、江戸の中期最初に作られたはんぺんの形で、江戸の川柳に「蒲鉾屋、星(星鮫のこと)を叩いて、月(半月のこと)を出し」と謳われているそうだ。

京都中央区1 日本橋

「東京のかまぼこの歴史」は前述のとおり東京都蒲鉾水産加工業協同組合が発行しているのだが、江戸から明治、大正、戦前から戦中、戦後にかけての東京の蒲鉾の歴史が体系的に学べる大変貴重な書籍だ。一般発売されておらず、主に業界向けの内容となっているが、読んでみると日本や東京の生活背景も学べて非常に興味深い。東京おでんだねも記録に残りづらい東京のおでん種やさんの事情を記事にして、少しでも次の世代へ語り継ぎたいと思っている。

東京の蒲鉾の歴史は日本橋魚河岸から築地市場へ舞台を移すが、機会を見て順次紹介していければと思う。

神茂(かんも)の基本情報

神茂(かんも)
〒103-0022 東京都中央区日本橋室町1-11-8
03-3241-3988
定休日:日曜、祝日
営業時間:10:00~17:00
神茂のウェブサイト
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