八幡屋(やわたや)は墨田区東向島の大正通り商明会にあるおでん種専門店だ。かつて東向島が玉の井であった時代から営業している歴史的にも貴重なお店だ。店主は浅草生まれで東向島に60年以上店をかまえる生粋の下町東京人で、興味深いお話をたくさんしていただいた。
多くの文人が愛した旧玉の井、東向島駅
東武伊勢崎線の東向島駅がある東向島は、過去に私娼街「玉の井」があった場所だ。永井荷風、高村光太郎、太宰治、尾崎士郎、高見順など多くの文人に愛され、彼らの作品の舞台にもなった。
駅前のお店はスーパーやコンビニ、ファストフード店などで占められているが、少し歩を進めれば下町風情を残す商店街が広がっている。私娼街としての面影はほとんど残っていないが、入り組んだ小径や老朽化した建物にその片鱗を見出すことができる。
昭和33年(1958年)の売春防止法施行を機に娼家は東向島を離れ、一部は向島の鳩の街に移転した。鳩の街(鳩の街通り商店街)には以前紹介したおでん種専門店、佃忠蒲鉾店(向島)がある。
東向島駅の西側には向島百花園がある。江戸時代に開園し、こちらも長い間文人たちに愛されてきた。開園当時は梅が有名だったが、現在は四季折々の草花を楽しむことができる。「隅田川七福神めぐり」の福禄寿を祀ることでも有名。お正月の寒い時期に七福神巡りで訪れて、温かい甘酒でひと息入れるのが最高なのだ。
玉の井の時代を知るおでん種専門店、八幡屋
八幡屋(やわたや)は、東向島駅の北側にある大正通り商明会に店を構えている。
八幡屋は昭和31年(1956年)の創業で、60年以上の歴史を持つ。私娼街がなくなったのが昭和33年なので、創業して2年くらいまでは、かつての玉の井が存在していたことになる。歴史的に見ても当時を様子を知る貴重なお店といえる。
お話を伺ったのは八幡屋の店主。元々店主のお父様が浅草象潟(きさかた)町でお店を営業していたが、店主が東向島に店を構えることになった。浅草象潟町は現在の浅草四丁目あたりなので「お富士さん」で知られる浅草富士浅間神社の近くだ。浅草のど真ん中で生まれ育ち、その後はずっと東向島なので、店主は生粋の下町東京人である。ちなみに後ろにいるのは店主の息子さんだ。
八幡屋の店内は照明や暖簾などが美しく整えられていて、凛とした老舗の雰囲気だ。この日は暑かったので、おでん種は冷蔵ショーケースのほうに移されていた。外の鮮やかな日差しと店内の涼しげな雰囲気のコントラストが素晴らしい。
冷蔵ショーケースにある練り物のおでん種は絵柄が美しい大皿に並べられていた。おでん種の形状ごとに分けられている。たくさんの種類を注文しようとしたら、店主が「1種類食べりゃ味はわかるよ」と言って、しょうが天を味見させてくれた。魚のすり身の味がとても上品で、丁寧な職人の技を感じることができた。
練り物以外のおでん種も揃っている。はんぺんとすじは八幡屋の手作りだ。はんぺんは近年原料となるサメが手に入りにくくなっているため既製品を仕入れてしまうお店が多いなか、八幡屋では自家製にこだわっている。おでん汁も八幡屋のオリジナルのものを販売している。
こんにゃくや白滝は千住大橋の旧やっちゃ場通りにある山栄食品のもの、田舎こんは群馬県のヨコオデイリーフーズのものだった。
ショーケースの向かい側にはおでん種以外の食材が並んでいた。日高昆布や干し椎茸などの出汁用食材から、麺や調味料などたくさん種類がある。
おでん種を選びつつ、店主とは1時間ほどお話をさせていただいた。
筆者がおでん種やさん巡りをしていると伝えると、店主は「それで、なにが聞きたいの?」と直球で返し、筆者が「八幡屋さんや店主の歴史を知りたいです」と答えると、店主は「ややこしいからやだよ」と笑いつつもいろいろとお話していただいた。
仲がよかった日本橋神茂の先代のこと、お父様の働く姿を見て蒲鉾職人の技術を身につけたことなど、興味深いお話ばかりだった。「冗談じゃねえよ」という口癖が下町の東京人らしく、威勢がよくてとても格好よかった。
職人の技に裏付けされた、丁寧な味わいの八幡屋のおでん種
八幡屋で購入したのは16種類。どれも揚げ色が美しいおでん種ばかりだ。
時計回りに12時から、山海揚、いか天、お好み揚、木の葉揚、しょうが天、さつま揚、カレーボール、つみ入れ、すじ、ぎょうざ巻、いか巻、ぎんなん巻、はんぺん(中央上)、うずら巻(中央右)、肉だんご(中央下)、あくぬき大根(中央左)。
八幡屋ではおでん種を購入すると、ビニールで包んだうえに屋号の入った紙袋に入れてくれる。また、レシートには商品名がきちんと記載されている。商品名が記載されていないおでん種やさんがほとんどなので、記事を書くときに非常に助かった。バーコードできちんと商品を数える工夫は息子さんが考案したものだそうだ。
そして、紙袋の裏には親切に「調理する際のヒント」というワンポイントアドバイスが貼り付けてある。他のおでん種やさんで教えてくれる調理方法とは少し異なっていて興味深くて奥深い。土鍋は不可なのか、弱火でコトコトはダメなのか、などいろいろと気づきがある。
八幡屋のワンポイントアドバイスを参考に調理開始。たくさんの種類があるので食べるのが楽しみだ。
八幡屋の練り物はとても上品な舌触りだ。きめ細やかさと弾力のバランスがちょうどよく、丁寧に作られていることがわかる。揚げ色はほんのりとしたきつね色だ。
いか天はイカが細かく刻んであるので食べやすく、イカの風味が口いっぱいに広がる。
カレーボールはカレー粉の混ぜ具合が絶妙なので、魚のすり身の風味を殺していない。ひと口サイズだが食べると充実した気分になる。
八幡屋自家製のすじは優しいなめらかな食感ながら、魚の風味がふんわり、しっかりと漂っていて美味しい。店主が勧めるのも頷ける。
お好み揚は小松菜、生姜が練りこまれている。小松菜と生姜の香りがとてもよく、魚のすり身のまろやかな美味さを引き立てている。
肉だんごは豚の挽肉が魚のすり身に1割程度混ぜ込んである。人参と玉ねぎも混ぜ込んであるのでふくよかな甘みが広がって美味しい。
八幡屋自家製のはんぺんはもっちりとして濃厚な味わい。他店ではふわっときめ細かいものが多いが、このくらい濃密なはんぺんは初めてだ。
木の葉型のしょうが天は紅生姜の色合いが美しく、清々しい香りが食欲をそそる。スタンダードなおでん種ながら、ぜひ押さえておきたい。
山海揚は切り昆布とゴボウが入った通好みのおでん種。昆布の食感の面白さとゴボウのふくよかな香りが大人の舌を楽しませてくれる。
つみ入れは店主の息子さんが作られたという。柔らかなすり身からジューシーな味わいがあふれ出る。
ぎょうざ巻は大きな餃子が丸ごと入っており、挽肉に餃子独特の風味が詰め込まれている。噛めば噛むほどうまみがあふれ出て、病みつきになる美味しさだ。
あくぬき大根はあらかじめ下茹でしてあるので、そのまま鍋に放り込んでもうまみたっぷりの柔らかな食感が楽しめる。
木の葉揚は小松菜と桜エビが練りこまれている。木の葉の形と小松菜の緑色が美しい。
八幡屋のさつま揚はたくさんの人参が入っている。さつま揚げというと具材がなにも入っていないプレーンなものが一般的だが、このさつま揚げは人参の甘みが前面に押し出されていて新鮮な味わいだ。
注目のおでん種が多い八幡屋だが、巻物系のおでん種は特筆に値する。こちらのいか巻は厚みのある大きなイカが入っているのだが、イカの周りに注目していただきたい。うっすらと半透明な膜のようなものが見えるが、これはイカをあらかじめ揚げたものだと推察できる。ひと口食べたときに香ばしい香りと感触があったのだが、きっとこのひと手間によるものだと思う。
同じくうずら巻もウズラの表面が膜で覆われている。具材を揚げることで味がぼんやりとせず、よいアクセントとなっている。
ぎんなん巻も同様だ。このような工夫はほかのおでん種やさんでは見たことがない。暖簾分けせず独自の技と味を磨いてきた八幡屋の歴史を垣間見たような気がした。
「親父の苦労を知っているから、おいそれと仕事をやめるわけにも、店をたたむわけにもいかない」。
店主が語ったこの言葉が印象的だった。また、「この店も私も日本の歴史と一緒」とも語り、戦前、戦後の移り変わりを目の当たりにしてきた店主の人生が眼に浮かぶようだった。東向島が玉の井だった頃、私娼で働く人たちは自分たちの人生をしっかりと生きていて、とても格好よかったそうだ。店主の生まれ育った浅草象潟町も、かつては花柳として賑わっていた。どちらも街の名前が変わり、かつての街並みや賑わい、記憶の跡がかき消されていくことを残念に思っているようだった。
時代の趨勢によって街並みや地名が変わることは致しかたないことだ。しかし、八幡屋の味は残り続けてほしいと思う。店主が当時から作り続けてきたおでんの味を通して、玉の井に生きた人々の思いを共有できるような気がしてならないからだ。店主はいつまでもお元気で、美味しいおでん種を作り続けてほしいと願う。
【2021年8月閉業】八幡屋の基本情報
八幡屋
〒131-0032 東京都墨田区東向島4-43-10
03-3611-3368
定休日:日曜
営業時間:9:00~18:30