板橋区の大谷口北町にある蒲吉商店。商店街のおでん種やさんの魅力が詰まった素晴らしいお店だ。女主人の方から商店街とおでんにまつわる貴重なお話をたくさん伺うことができた。
2020年1月に訪れた2回目の訪問記事はこちら。
大谷口北町のパステル宮の下商店街
東京メトロの小竹向原駅、東武東上線の中板橋駅の中間地点にあるパステル宮の下商店街(宮の下商栄会) 。鎮守の大谷口氷川神社があることから「宮の下」という名前が付いている。
向原団地が近くにあり、バスの行き来も多く、かつては相当な賑わいを見せた商店街だったが、今では住宅が目立つようになった。商店街の名称を「パステル」に変更したり、ゲートを新設するなど、活気を取り戻すために様々なテコ入れを行っている。
蒲吉商店はパステル宮の下中央の交差点付近にある。この交差点は豆腐屋や肉屋、文房具屋など現役で営業しているお店が集まっており、比較的お客さんが多いエリアだ。蒲吉商店に訪れたときも馴染みのお客さんが先に来ていて、女主人と親しげに話をしていた。「お任せでお願い」「お任せがいちばん難しいのよ」なんていう会話が聞こえてくる。
豊富なおでん種、柔和な女主人が魅力の蒲吉商店
店に入るとまず目に留まるのが立派な木製の看板だ。庚申塚の増田屋蒲鉾店と同じように、同業者の屋号が刻まれている。
女主人によると、ここに刻まれているお店はほとんど閉業してしまい、今は数えるほどしか営業していないとのことだった。「ここはまだやってる、ここは二年前にやめちゃったかな」と教えてくれた。中板橋の太洋かまぼこ店もご存知で「板橋区もおでん種やさんが少なくなっちゃったわね」と残念そうにしていた。
店頭では調理済みのできたておでんを販売していた。おでん汁がよく染みていそうで美味しそうだ。フランク(ウインナー)も綺麗に茹で上がっているし、串に刺さったつみれもほろほろに仕上がっている。この日は少し寒かったので、見ているだけでよだれが垂れてきた。こちらの詳細については「蒲吉商店のできたておでん」の記事をご覧いただきたい。
さて、肝心のおでん種は30種類以上。練り物だけでも20種類ほどある。
様々な色彩と形の練り物は、どれにしようかとワクワクしてくる。中段の平たい練り物に女主人は「半分に切って調理するといいわよ」と言いながら、調理済みのおでんのところまで行って切ってあるものをわざわざ見せてくれた。ここの女主人は本当に親切で、ものごしが柔らかくとても魅力的だった。
牛すじ、サザエ串、ジャガイモや玉子など、練り物以外のおでん種も豊富だ。八百屋やスーパーで買い足さなくても、蒲吉商店だけで立派なおでんができあがりそうだ。
ちくわぶは真空パックしていない生のものを扱っている。「生だから管理は面倒なんだけど、柔らかくって美味しいのよ。私は東北出身だから馴染みがなかったけど、最近有名になって故郷から送ってくれと頼まれるの」と教えてくれた。ちくわぶは隣の豆腐屋でも扱っていて、こんにゃく業者(東中野の山田食品)から仕入れているそうだ。
つみれは通常のものの他に「野菜つみれ」というオリジナルおでん種も作っている。店頭にはひとつしかなかったのだが、奥からたくさん出してくれた。野菜つみれはイワシではなく、練り物で余ったすり身を使っているそうだ。
昆布は10本で200円。その安さに驚いたのだが、単品20円で好きな数だけ販売してくれた。魚のすじは自家製で「不恰好なんだけど美味しいわよ」と笑いながら勧めてくれた。はんぺんは銚子の嘉平屋、焼ちくわは青森の千葉伝工場、おでん汁はチヨダのものだった。
それにしても、おでん種の種類が本当に多い。佃煮や漬物などごはんに合う食材も販売しているので、買い置きするには便利なお店だ。
女主人との会話を楽しみつつ、おでん種を12種類+1種類ほど購入した。時計回りに12時から、野菜天、しゅうまい巻、すじ(魚)、野菜つみれ、末広揚(中央)、うずら玉子、えび天、玉ねぎかき揚、もみじ揚。この他にちくわぶ、大根、昆布も購入。えび天はおまけで入れてくれた。同じ種類のものを複数購入したが1300円ちょっと。本当に安い。女主人は「安くなかったら、おかずにならないでしょ」と微笑んでいた。
具材のうまみが生かされた個性豊かなおでん種
調理を済ませ、程よく味の染みた極上おでんが完成した。野菜天と野菜つみれの彩りが美しい。家族で様々な種類のおでん種をつつきあって、私はこれが好き、僕はあれが好きなどと会話を弾ませるのが、家のおでんの正しい楽しみ方なのではないかと思う。パックやセットで売られているものでは、こういう楽しみ方はできないのである。
店構えや品揃え、店主など「商店街のおでん種やさん」の魅力が詰まった蒲吉商店なのだが、おでん種を食してみるとそのクオリティの高さに圧倒された。これは正直、驚きである。
大抵の練り物は具材が異なってもすり身とおでん汁で同じ味になりがちだが、蒲吉商店の練り物は具材のうまみが生かされている。もみじ揚はもやしとニンジン、そして唐辛子が入ったピリ辛味なのだが、野菜のシャキシャキ感が半端ない。具材のうまみと香りが広がった後に、唐辛子の辛味がきちんと広がる。そう、唐辛子がきちんと辛いのだ。ピリ辛といいながら風味だけ感じさせるものが多いのだが、蒲吉商店のもみじ揚は食べた後にちゃんと辛味が残る。おでんに入れずに簡単に炙って酒の肴にしてもよいそうだ。
しゅうまい巻は肉汁がじゅわっと染み出して美味しい。余計なものが入っておらず、挽肉がぎっしり詰まっているので食べ応えがある。
自家製の魚のすじはぷりぷりの食感の中にきちんと軟骨のアクセントが効いている。あえて滑らかにせず、魚本来のうまみが凝縮されている。一晩寝かせてほろほろにしても美味しいし、鍋に入れてすぐ食べても美味しい。
玉ねぎかき揚はタマネギの甘みが染み出しているし、ちくわぶも女主人の言う通りとても柔らかい。
野菜つみれもすり身の味がきちんとして本当に美味しい。揚げたすり身は味がまろやかになってスナック風になるのだが、この野菜つみれは揚げていないので魚の風味がしっかり残っている。
そして、特筆すべきは野菜天。断面の美しさは過去に見たおでん種の中でいちばん美しいのではないかと思う。民藝を代表する版画家の芹沢銈介の作品を思い起こさせる素朴で洗練されたデザインだ。ニンジンを短冊切りすることでうまみと香りが口いっぱいに広がる。インゲンのしゃきしゃきとした感触も素晴らしい。断面を見れば分かるが、ほとんど野菜で埋め尽くされている。これまで色々なお店のおでん種を食べてきたが、お世辞抜きでマイベストかもしれない。
検索サイトで「蒲吉商店」を検索してもほとんどヒットしないのだが、このような素晴らしいおでん種が世に知られていないのは本当にもったいないと思う。駅から少し離れた場所にあるのだが、おでんファンの方は騙されたと思ってぜひ足を運んでいただきたい。
失われつつあるおでん種やさんの文化
蒲吉商店の歴史は古いそうで、宮ノ下の商店街とともに年を重ねてきた。昔はひっきりなしにお客さんが訪れて、午前だけでなく午後もおでん種を作らなくてはならなかったという。調理済みのおでんも種を入れたそばからなくなっていったそうで、とりわけ子どもがおやつ代わりに買っていったそうだ。
商店街は次第に客足が減り、商店も次々となくなってしまったそうだが、子どものころに蒲吉商店のおでんを味わったお客さんが親になり、引っ越してもわざわざ買いに足を運んでくるそうだ。近くの日大病院に行った帰りに車でたまたま通りかかった人が「懐かしい商店街のおでん種やさん」だと言って、車を停めて買ったりもするそうだ。「そういったことがとても嬉しい」と女主人はしみじみと語っていた。しかし、蒲吉商店はご夫婦のどちらかが倒れたら店を閉めるという。おでん種業界だけでなく商店街の個人経営店は後継者問題が暗い影を落としている。時代の趨勢(すうせい)には逆らえないのだが、こんなに美味しいおでんが食べられなくなるのは本当にもったいないと思う(追記:22年4月の訪問で2代目が働いていらっしゃることを確認)。
親切に話を聞かせてくれた女主人に惚れ込んだだけでなく、おでん種の味に感銘を受けたことですっかり蒲吉商店のファンになってしまった。しかし、このような隠れた名店は東京から次々と姿を消していく。都内のおでん種やさんは有名店を含めても50店舗以下になっているというが、「おでん種やさんで買ったおでんを家で調理して食べる」という素晴らしい食文化はいつまでも残り続けてほしいと思う。
蒲吉商店の基本情報
蒲吉商店
〒173-0031 東京都板橋区大谷口北町80−3
03-3956-1531
定休日:日曜日
営業時間:8:00~18:30