小田原の蒲鉾は、長い歴史に培われた職人の技術と良質な魚へのこだわりで全国屈指の知名度を誇る。現地に訪れて探った小田原かまぼこと小田原おでんの魅力を2回にわたって紹介する(第2回はこちら)。
小田原の蒲鉾は全国蒲鉾品評会などで数多くの受賞を誇り、小田原で修行した東京のおでん種専門店(蒲鉾店)の店主も多い。おでんに関しては2003年から普及活動を行っており、年々知名度を上げている。注目の小田原かまぼこと小田原おでん、緊急事態宣言も解除されたため実際に訪れて食してみることにした。
今回は主要な蒲鉾店12軒を訪問した。小田原蒲鉾協同組合に所属する11軒、足柄上郡開成町にある1軒となる。
小田原蒲鉾協同組合の蒲鉾店は小田原駅周辺の本町と浜町に集中しているが、2軒(土岩、鈴廣)はすこし離れている。開成町にある1軒は佐藤修商店だが、本社は南足柄市にある。
佐藤修商店の所在地は小田原市ではないため、小田原蒲鉾協同組合の地域団体登録商標である「小田原かまぼこ」を使用したことによって訴訟に発展したが、平成30年(2018年)に和解している。
なお、今回の記事はいつにも増して長いので興味のあるところだけ読んでいただければと思う。以下の目次から各項にアクセスできる。
- 小田原かまぼこの起源
- 小田原駅東口からかまぼこ通りへ
- 小田原かまぼこ通りで揚げたて蒲鉾を堪能する(籠淸、鱗吉、杉清)
- 東海道沿いにある本町の蒲鉾店(鈴松、杉兼、山一)
- 旧東海道沿いにある浜町の蒲鉾店(山上、わきや、伊勢兼)
- 小田原のおでん種が楽しめる小田原おでん本店
小田原かまぼこの起源
小田原かまぼこの起源は北条氏の小田原統治時代まで遡る。永禄元年(1558年)に足利義氏が北条氏康の館を訪問した際に「蒲鉾」が振る舞われたという記録が「佐竹家旧記」中の「鶴岡八幡宮社参記」に残っている(出典:株式会社鈴廣蒲鉾本店、2005、『慶應・明治・大正・昭和、そして平成へ 鈴廣かまぼこの百四十年』)。
小田原沖(相模湾)では魚がよく獲れ、沿岸漁業が盛んだった。魚商も多く存在し、副業で蒲鉾づくりが盛んになった。魚の評判を聞きつけて日本橋の蒲鉾職人も多く移り住んだという。また、小田原の地下水はミネラル成分をほどよく含み、蒲鉾の製造に適していた。
東海道が整備されると小田原は箱根越えの玄関口として賑わった。小田原の旅籠では棒巻と呼ばれる、魚のすり身を棒に巻いて焼いた蒲鉾が提供された。
小田原の蒲鉾は参勤交代の大名にも供され好評を博し、職人たちは技術の研鑽に努めた。また、箱根に向かう湯治客が増える一方で、交通の便が悪く新鮮な魚を運び込むことが難しかった。そこで保存性の高い蒲鉾のニーズが高まったといわれている。
天保から嘉永(1831〜1855年)頃には現在のような板付蒲鉾が江戸や大阪、京都で主流になり、小田原でも江戸蒲鉾の情報が広まり棒巻から板付蒲鉾へ移行していった。
現在の小田原かまぼこはグチ(シログチ)が使われているが、明治時代までは小田原沖で獲れたオキギスやムツ、タカベなどを使用していた。とくにオキギス(キスに似てるが別系統の魚)は蒲鉾の原料魚として最適で、当時の小田原かまぼこの名声を支える重要な魚だった。しかし、小田原の蒲鉾の人気とともに需要が増加し、小田原沖での確保が困難となった。このため各地方の漁場から仕入れていたが、こちらも漁獲高の減少によって確保しづらくなり、静岡の魚問屋が売り込んできたグチに切り替えたという。
小田原の蒲鉾職人たちが水晒しなどの工夫や研究を重ねたことにより、グチは申し分ない品質の蒲鉾に仕上がる原料魚となった。現在は全国的に安価なスケトウダラの冷凍すり身が普及しているが、小田原の蒲鉾店はグチにこだわっている。
小田原駅東口からかまぼこ通りへ
さて、ここから小田原の蒲鉾店をまわっていくことにする。小田原へは新幹線で東京駅から40分程度、小田急ロマンスカーでは新宿駅から60分で到着する。
ロマンスカーは東京メトロ千代田線から直通しており、北千住、大手町、霞ヶ関、表参道からも乗車できる。箱根の旅の際に立ち寄るのはもちろん、日帰り観光も可能だ。
まずは蒲鉾店が多く集まる小田原かまぼこ通りを訪れるために東口に向かおう。ちなみに小田原駅周辺にも蒲鉾を購入できるお店は多くあるので、時間がない場合はそれらを利用してもいい。
東口はショッピングモールのミナカ小田原やトザンイースト(旧箱根登山デパート)、繁華街の錦通りなどがあり、小田原で最も賑やかなエリアだ。ここから中央に走る駅前通りを南下していく。
そのまま進んでもいいが、錦通り入口の信号で右に曲がってお堀端通りを進むと小田原城址公園の脇を通ることができる。天守閣までさほど時間がかからないので、見学するのもいいだろう。
小田原城は15世紀半ばに築かれ、1500年頃には北条氏の居城となる。天守閣は昭和35年(1960年)に再建されたものだそうだ。
小田原かまぼこ通りで揚げたて蒲鉾を堪能する(籠淸、鱗吉、杉清)
小田原駅東口から15分ほど歩くと国道1号にたどりつく。この通り(東海道と旧東海道)と南にひとつ進んだ通りが小田原かまぼこ通りだ(当記事掲載の地図参照)。
小田原かまぼこ通りは小田原かまぼこ通り活性化協議会が小田原の魅力を伝えるために名付けた通りだ。小田原かまぼこの老舗である鱗吉8代目の田代守孝氏や蒲鉾各店が連携し、干物や蒲鉾店が多く集まる本町と浜町周辺でさまざまな活動を行っている。かつて本町周辺は代官町、千度小路と呼ばれ、明治時代には3つの魚市場が存在したという。
まず、国道1号からひとつ南にある通りの蒲鉾店から紹介していこう。この通りには揚げたての蒲鉾を食べ歩きできるお店が3軒ある。
小田原かまぼこ御三家の一角、籠淸(かごせい)
最初に紹介するのは小田原かまぼこの御三家の一角、籠淸(かごせい)だ。東京でもあらゆる場所で販売されているので、ご存知の方も多いことだろう。
籠淸は江戸時代の文化11年(1814年)に創業した蒲鉾の老舗だ。江戸への鮮魚の輸送を本業としていたが蒲鉾の製造もはじめ、明治45年(1907年)に専業となる。
オキギスが主流だった時代にいち早くグチに着目したのが籠淸だ。その慧眼は蒲鉾製造に必要な水にも及び、小田原の地下水が確保しにくくなった昭和48年(1973年)には工場を静岡県志太郡大井川町へ移し、大井川水系の良質な水を確保するに至った。
籠淸では、東京都蒲鉾水産加工業協同組合の理事である八木竜太郎氏や八王子の小田原屋の店主が修行に励んだ。八木さんが入門をお願いした際は籠淸の社長がふたつ返事で承諾したという。蒲鉾業界の大手でありながら、業界の将来を担う若者に門戸を開く懐の深さも魅力のひとつだと思う。
本店は関東大震災後の大正13年(1924年)に再築されたものだ。軒先の看板は欅の1枚板で、屋号の文字は三井物産の創設者である益田孝(鈍翁)の筆による。「籠淸」ではなく「加古淸」と書かれた理由は資料が残っていないためわかっていない。
店内には籠淸本店の古写真が飾られていた。神棚や大黒柱、縁石や硝子戸など、どれも当時の最高の材料と技術で作られた歴史的遺産だ。
籠淸では食べ歩きのための揚げたて蒲鉾を提供している。チーズや明太マヨなどさまざまな種類があるが、季節限定の「かに棒」をチョイスした。オーダーしてから揚げるため、店内を見学しながら待つことにした。
数分待つと商品が手渡された。筆者は東京でありとあらゆるお店で揚げ蒲鉾を食べているので、揚げたてがいちばん美味しいことは心得ている。さて、どんな味なのだろうか。
魚のすり身が熱々で、ほくほくとしていてとても美味しい。カニもたっぷり入っていて、ふくよかな甘みが感じられた。籠淸は板付蒲鉾の上品な味わいが売りなのだが、観光で来たなら美味しさがストレートに伝わる揚げたての蒲鉾も捨てがたい。
「小田原かまぼこ発祥の店」鱗吉(うろこき)
天明元年(1781年)創業で「小田原かまぼこ発祥の店」を標榜する田代吉右衛門本店、鱗吉(うろこき)。8代目の田代守孝氏は小田原かまぼこ通り活性化協議会の発足の中心人物だ。
鱗吉の「鱗」は北条氏の家紋である三つ鱗が由来だ。北条氏から家紋の一部の三角形を与えられ、初代の吉右衛門の「吉」を加えた。蒲鉾を専業にする以前は周辺でもっとも大きな魚問屋を営んでいた。
「小田原かまぼこ発祥の店」を掲げるだけあり、原料魚への原価比率を高くして、こだわりの蒲鉾をつくり続けている。それゆえに市場や量販店への卸は行っておらず、自社店舗での販売やネット通販に力を注いでいる。
板付蒲鉾だけでなく、しんじょ(真丈)、伊達巻、いわし揚げなどさまざまな商品を展開している。もちろん地方発送も行っているので、お中元やお歳暮にも利用できる。
お店の隣には足湯に浸かりながら食事が楽しめる囲炉裏端がある。平成27年(2015年)に駐車場を改装したもので、小田原の蒲鉾製造の木型や古写真などを展示している。小田原市から「街かど博物館」の認定を受け、地域活性化に貢献している。
さて、そろそろ鱗吉の揚げたて蒲鉾をいただくことにしよう。魅力的な商品が並んでいるが、いちばん人気の自然薯棒をオーダーしてみることにした。
自然薯棒は白身魚6割と神奈川県大山産の自然薯4割を擦りあげたものだ。店員さんにサービスしていただいた温かい麦茶で身体をあたためつつ、いざ試食開始。
ふわふわでありながらもっちりとした食感と、自然薯の香りがただよって満足感がある逸品だ。また、黒胡椒がきいていてこのうえなくスパイシーな味わい。
ついついお酒を飲みたくなってしまうが、鱗吉ではビールや日本酒なども取り揃えている。季節限定の日本酒や地元の湘南ビールなどがあり、観光気分を盛り上げてくれる。
8代目の田代守孝氏は豊かな発想で地域活性化のために尽力しているが、日本大学藝術学部写真学科の出身なのだそうだ。対面したことはないのだが筆者も同学部卒業でほぼ同い年、もしかするとキャンパスですれ違っていたのかもしれない。同じ学舎に通った者として、筆者も頑張らなければと思った。
揚げたてにこだわる杉清(すぎせい)商店
揚げたて蒲鉾を味わえる最後のお店は杉清(すぎせい)商店。明治37年(1904年)創業で、こちらも老舗の蒲鉾店だ。東京では戦後以降に創業した蒲鉾店が多いが、小田原には大正や明治以前の老舗がごろごろしている。
かまぼこ通りの本店のほかに、販売専門店の「あげたてっこ」(小田原市栄町1-16-41)が国道255号の通り沿いにある。本店よりも駅に近いので、そちらで揚げたて蒲鉾を味わうのもありだ。
杉清商店は昭和34年(1959年)の明仁皇太子御成婚式典の賜饌(しせん)調理での奉仕によって表彰を受けている。また、昨年の全国蒲鉾品評会で入賞している。
店内には揚げ蒲鉾のサンプルがずらりと並ぶ。25種類以上あり、単体でもセットでも自由に選ぶことができる。もちろん、揚げ蒲鉾だけでなく板付蒲鉾も生産している。
杉清商店の特徴はなんといっても「作りたて、揚げたて」である。食べ歩きのみでなく、すべてにおいてそのポリシーを貫いている。通販でさえも商品の作り置きはしないそうだ。したがって、購入する際には時間に余裕を持っておこう。なお、通販サイト(楽天)では揚げる前の「白生地」と呼ばれる蒲鉾を販売しており、自宅で揚げて熱々のものを味わうことができる。
店内から工場(こうば)が見え、職人さんたちがひとつひとつしっかり手づくりしていることがわかる。魚のすり身は成形したあとに箱根や丹沢水系の地下水で茹でたあとに揚げるそうだ。
たくさんの種類のなかから、しらす入りのものをオーダーした。揚げたての蒲鉾を覆う熱々の油がとにかく美味。グチとイトヨリダイを使った魚のすり身はふんわり滑らかで、国産のしらすの風味が混ざりあう。
本町周辺の蒲鉾関連スポット
お腹が満足したあとは、すこし周辺を歩いてみよう。本町には蒲鉾店だけでなく、蒲鉾にまつわる多くの史跡や建物が集まっている。
鱗吉と杉清の間には、明治20年(1887年)頃に鈴廣が代官町(現在の小田原市本町1丁目)から移転した旧本店が残っている。この際に屋号が村田屋から鈴廣に改められた。昭和37年(1962年)に本拠地が風祭に移ってからも営業を続けていたようだが、現在はその役目を終えている。
籠淸と鱗吉の間の道を海側に進むと小田原蒲鉾会館がある。ここは小田原蒲鉾協同組合の所在地でもある。観光としてこの建物に見どころはないが、裏手に千度小路龍宮神社がある。千度小路の漁師たちは、この神社で大漁や安全を祈願したという。神紋に三つ鱗があることから北条氏の時代から存在していると思われ、小田原が古くから海と深いかかわりがあったことが想像できる。
東海道沿いにある本町の蒲鉾店(鈴松、杉兼、山一)
次は、国道1号(東海道)沿いにある本町の蒲鉾店を紹介していこう。小田原かまぼこ通りに面する2軒、それ以外の1軒だ。
アイデアに富んだ新商品を生み出す鈴松蒲鉾店
最初に紹介するのは明治25年(1892年)創業の老舗、鈴松蒲鉾店だ。東海道と旧東海道沿いにある小田原かまぼこ通りのもっとも西側に店舗を構える。
良質な魚と小田原の地下水を使用した板付蒲鉾のほかに、アイデアに富んだ新しい商品を生み出している。また、商品の組み合わせが自由でお得な「よりどりセール」やアウトレットの販売を行っている。すり身は卵白や保存料を使用しておらず、安心して食べられる。
店内のショーケースにはさまざまな商品が並んでいる。板付蒲鉾は金箔かまぼこを含めた4種類。小田原かまぼこの包装のなかで鈴松蒲鉾店の特上かまぼこが個人的にいちばん好みである。
左のショーケースには工夫を凝らした商品が並ぶ。テレビ東京「アド街ック天国」で紹介された「浜のお月見」といううずら巻、魚のすり身に卵とクリームチーズを加えて焼いた「小田原焼き」と呼ばれるチーズケーキ、小田原市の花である梅の模様が入った「梅柄なると巻」などがある。
そして右側にはよりどりセールの商品などが並ぶ。応対していただいた店員の方はとてもやさしく丁寧で、お客さんに対する心配りが素敵だった。先述の東蒲の理事である八木氏が籠淸以前に鈴松で修行をされていたので「八木さんの知人です」と話題をむけると、とても嬉しそうに微笑まれていた。
【2023年10月閉業】名店の風格漂う杉兼商店
鈴松蒲鉾店から道を挟んで2軒先にあるのは杉兼商店だ。昭和9年(1934年、杉兼のHPでは昭和11年)の創業で、こちらもグチを原料魚とした品質の高い蒲鉾をつくり続けている。
力強い印象の屋号が刻まれた大きな木製の看板に名店の風格を感じる。店舗裏の通り(鱗吉の正面)には昭和47年に建てられた工場がある。
外観に劣らず、店内も非常に清潔で高級感が漂う。店員さんはとてもやさしいので、臆せず商品を吟味しよう。
板付蒲鉾は極上、特撰、上かまぼこの3種類。速報かまぼこニュースの杉山正二会長のインタビューによると他店の小田原かまぼこに比べて「身の具合というか歯応え、形で言えば扇形で、腰が立っている」のが特徴なのだそうだ。
店員さんに杉兼らしい揚げ蒲鉾の商品をうかがうと、創業当時からある「さつま揚げ」をすすめられた。揚げ蒲鉾以外にも伊達巻や焼きちくわが有名で、地元のお客さんにも好評だそうだ。
鈴松と杉兼の間には閉業した佐倉蒲鉾店の店舗跡が残っている。鈴松の方によると数年前に閉業したそうだ。小田原には現在も多くの蒲鉾店が営業を続けているが、東京と同じく閉業するお店も少なくない。
TVでも多く取り上げられる山一蒲鉾店
鈴松商店から西は小田原かまぼこ通りではなくなるが、そのまま国道1号(東海道)を進むと小田原かまぼこを生産する山一(やまいち)蒲鉾店がある。大正14年(1925年)創業で、全国蒲鉾品評会をはじめとした数々の賞を受賞している。
東海道を歩いているとお城のような外観のういろうの店舗が見えてくるが、その隣にあるのが山一蒲鉾店だ。白いビルに赤い「山一」の屋号が掲げられているため、見つけるのは容易だろう。
店舗は庶民的なたたずまいで非常に入りやすい。どことなく東京のおでん種やさんに通じる雰囲気があり、親近感をおぼえる。
立て看板には山一蒲鉾店の人気商品のひとつである「大きな揚玉」が紹介されている。魚のすり身にキャベツやマヨネーズが入っており、かなり重たい揚げ蒲鉾だ。TVでもたびたび紹介されているようだ。
裏にもおすすめ商品が紹介されている。「創業明治末期」という文字も見えるが、SNSなどネットでは大正14年(1925年)と紹介されることが多い。老舗の創業年は蒲鉾を専業とした年なのか、それ以前の業種を開始した年なのか、法人化する前か後か、戦災などで明確な記載のある資料が残っていない場合が多い。
ショーケースの商品には値札に説明が書いてあり選びやすいが、店主も詳しく教えてくれる。山一らしい商品をたずねたところ「TVでも取り上げられた元祖たこ天がいちばん人気だね」ということだった。
店内には壁一面覆うほどのサイン色紙が敷き詰められており、TVで数多く取り上げられたことがわかる。小田原北條五代まつりで開催される武者隊行列の写真やサインもあった。
小田原の伝統を受け継ぐ蒲鉾の名店でありながら、庶民的な雰囲気を漂わせる山一蒲鉾店。店内に注ぐほがらかな秋の日差しがよりやさしく感じられた。
旧東海道沿いにある浜町の蒲鉾店(山上、わきや、伊勢兼)
次は東に進んで、旧東海道沿いにある浜町の蒲鉾店を見ていこう。浜町には3軒の蒲鉾店がある。ほとんど隣同士なので、一度にまわれて便利だ。
本町の信号から650メートル、約8分ほど歩く。途中で青物町商店街を通り過ぎた先に昨年閉業した丸う田代が見えてくる。
丸う田代は明治元年(1869年)創業で、小田原かまぼこの御三家のひとつだった。魚商を行うかたわら蒲鉾づくりに着手し、2色の蒲鉾を巻いた「君まき」で一躍有名になった。
全国蒲鉾品評会で農林水産大臣賞などを多数受賞し、全国的な知名度を誇った老舗だったが、内部不祥事の解決や経営悪化によって令和2年(2020年)に閉業した。訪れたときには入口に閉店のお知らせが貼られていた。小田原だけでなく日本を代表する老舗の閉業は非常に残念なことだ。しかし、東銀リアルエステートの出資により2021年11月に再開が決定した。板付蒲鉾と伊達巻、いか塩辛のスモールスタートとなり、5代目の田代勇生氏は生産本部長に就任するそうだ。
原料魚にこだわり、品質の高い蒲鉾を提供する山上蒲鉾店
丸う田代を越えて進むと、山上(やまじょう)蒲鉾店にたどりつく。蒲鉾店としては明治11年(1878年)の創業だが、その前は元禄以前から続く米屋だった。
昭和42年(1967年)から3年連続で全国蒲鉾品評会の最高賞である農林水産大臣賞を受賞し、平成15年、21年にも同賞を受賞している。原料魚はほかの小田原の蒲鉾店と同じくグチを使用しているが、粘りやしなやかさ、弾力に優れた済州島沖のものを使用している。商品は贈答用から家庭用まで豊富に取り揃えている。
販売店の向かいには駐車場があり、そこでも蒲鉾を購入できる。揚げたての製品やチーズ入りしんじょうなど、店舗でしか購入できないものもあるので訪れてみるといい。また、TwitterやFacebookなどのメディア活動にも積極的に取り組み、ユーザーとのやりとりを大切にしている。とりわけ、Googleのクチコミにもひとつひとつ丁寧に返事をしているのが印象的だ。
いか塩辛も絶品のわきや商店
山上蒲鉾店の隣にはわきや商店がある。創業年は不明だが、わきやのInstagramの紹介によると、創業から120年ほど経っているそうだ。元は魚屋を営んでいたが、蒲鉾店の繁盛を見て蒲鉾づくりに励むかたわら、夏場は副業として塩辛や氷を販売していた。
わきや商店の蒲鉾は、ほかの小田原かまぼこの店舗よりも固く弾力があるという。これは昔ながらの製法を生かしているからで、常連客や蒲鉾の玄人たちから愛され続けている。
創業時は副業で作っていた塩辛も、現在はいせや商店を代表する商品となっている。天然の真イカを原料として、1杯ずつ皮を丁寧に剥いて塩に漬け込んでいる。麹入りのものは上品な甘さと臭みのなさが特徴で、非常に上品な味わいだ。生漬けは肝のうまみが特徴だが、品質のよい肝のみを漬け込んでいるため嫌な臭みはない。
丸う田代でも販売していたきみまきや、喉越しのよい小田原しんじょなど、小田原らしい商品が多い。楽天で通販も行っているので、購入してみてはいかがだろうか。
農林水産大臣賞を10年連続受賞した伊勢兼商店
浜町の最東端にあるのは伊勢兼(いせかね)商店だ。天保元年(1830年)創業であり、こちらも老舗中の老舗である。初代となる杉山兼吉氏の奉公先である伊勢善と自身の名前をとって「伊勢兼」と命名した。
オキギスが主流だった小田原かまぼこの原料魚にグチの採用を研究していたのは籠淸であると先に述べたが、伊勢兼商店の2代目店主もグチを導入する中心人物であったことが伊勢兼商店の旧サイトに記載されていた。
特筆すべきは全国蒲鉾品評会で10年連続の農林水産大臣賞を受賞したことだ。人気が高い商品は「小田原かまぼこ 北條」で、東宮御所献上品でもある品質の高い板付蒲鉾だ。また、店内で焼く「焼きたて竹輪」も人気で、季節によってさまざまな種類のちくわを楽しむことができる。
小田原のおでん種が楽しめる小田原おでん本店
すこし道を戻って丸う田代のすぐ隣には、小田原のおでん種が楽しめる小田原おでん本店がある。TVなどのメディアで頻繁に登場しているので、ご存知の方も多いだろう。
訪れた日は残念ながら定休日だった。一見、個人宅のようだが営業日には小田原提灯を掲げているので見逃すことはないだろう。小田原おでん本店は平成18年(2006年)オープンで、舞台演出家の露木一郎氏が経営している。そのため、屋内はまるで映画の世界に迷い込んだような美しい日本家屋の空間が広がっている。練り物マニアとしては丸う田代が創業時に使用していたまな板で制作したテーブルに興味津々だ。
「残念ながら」と言いつつも、じつは定休日であることはあらかじめ知っていた。昨年12月に別店舗がオープンしていたので、そちらにうかがおうと思っていたのだ。最初に来た道を戻り、新店舗があるミナカ小田原店の小田原新城下町へ向かった。
小田原新城下町は江戸時代の小田原宿をイメージした施設で、小田原名産のお店などが集結している。籠淸もあり、ここでも揚げたての蒲鉾を食べられる。
小田原おでんの新店舗、お城通りミナカ小田原店は2階にある。18名で満員になる広さで、2つあるテーブルごとに客を入れ替えるような案内となる。お昼どきはそこそこ並ぶが、浜町のお店は予約しないと入れない場合があるそうなのでこちらのほうが気楽でいいかもしれない。
お昼なら、おでんつきのランチセットがおすすめだ。茶飯、牛すじ丼、豚角煮ちまきなどがある。おでん種は約20種類のなかから5品を自由に選ぶことができる。それぞれの種は小田原の蒲鉾店がつくったものが中心となり、小田原蒲鉾協同組合に所属する11軒すべての味が楽しめる。
丁寧に淹れていただいたお茶を飲みながらしばらく待つと、食事が運ばれてきた。筆者は定番の茶飯セットをオーダーした。
小田原おでんの特徴は2つ。まず、小田原産のおでん種を使うこと。そして、梅味噌を添えることだ。梅味噌は梅肉、白味噌、砂糖を混ぜたもので、ほのかな酸味と甘みのあるコクが楽しめる。梅が採用されたのは、小田原の名産のためだ。作り方は「おでんのご当地だれを楽しむ」の記事を参考にしてほしい。
おでんは透き通ったこだわりの汁が素晴らしい。澄んだ出汁の香りがアロマのように顔を包み込む。おでん種は少々駆け足で取材した浜町周辺の蒲鉾店のものをチョイスしたが、どれも工夫があって美味しかった。また、小田原や神奈川特有のおでん種、すじぼこも選んだ。
茶飯の味付けは控えめで、これぐらいの加減がおでんと最も相性がいい。おでん汁で炊いたもののようで、刻んだ種も入っている。赤提灯の灯る店で熱燗を飲みながらおでんと一緒に食べる茶飯なら醤油のみのシンプルなものがいいが、旅先ではこのくらい手をかけたもののほうが満足感が高い。
茶飯をすこし食べたら店員さんに声をかけておでん汁を入れてもらい、おでん雑炊を楽しもう。どこまでもやさしい味わいに、取材の疲れがゆっくりほどけていく。
小田原おでんは平成15年(2003年)に小田原の蒲鉾店が中心となり、消費が減少傾向にあった小田原かまぼこの復興と町おこしを目的として企画された。小田原おでん会は小田原おでんまつりやおでん種のコンテスト、おでんを利用したフードツーリズムに取り組む地域を招待した小田原おでんサミットなどを開催している。それらの活動が身を結び、小田原おでんの知名度は年々上昇している。
第1回は小田原駅周辺の蒲鉾店やおでんを紹介した。第2回は小田原駅の近くにある早川駅、風祭駅、開成駅の蒲鉾店の紹介と、購入した商品を紹介したいと思う。ぜひ両方とも読んでいただいて、小田原に足を運んでみていただければと思う。
籠淸本店の基本情報
籠淸本店
〒250-0012 神奈川県小田原市本町3-5-13
0465-22-0251
定休日:元旦
営業時間:9:00〜17:00
籠淸のWebサイト
籠淸のECサイト
籠淸のFacebook、Instagram、Twitter
鱗吉(田代吉右衛門本店)の基本情報
鱗吉(田代吉右衛門本店)
〒250-0012 神奈川県小田原市本町3-7-17
0465-22-1315
定休日:無休
営業時間:9:00~17:00、本店囲炉裏店9:00~22:00
鱗吉(田代吉右衛門本店)のWebサイト
鱗吉(田代吉右衛門本店)の楽天サイト
鱗吉(田代吉右衛門本店)のAmazonサイト
鱗吉(田代吉右衛門本店)のGiftMallサイト
鱗吉(田代吉右衛門本店)のFacebook、Instagram、Twitter
杉清商店の基本情報
杉清商店
〒250-0012 神奈川県小田原市本町3-13-54
0465-22-5613
定休日:日曜
営業時間:9:00~17:00
杉清商店の楽天サイト
鈴松蒲鉾店の基本情報
鈴松蒲鉾店
〒250-0012 神奈川県小田原市本町3-11-26
0465-22-2228
定休日:火曜、土曜
営業時間:9:00~12:30、13:30~16:00
鈴松蒲鉾店のWebサイト
鈴松蒲鉾店のBASEサイト
鈴松蒲鉾店のFacebook、Instagram、Twitter
杉兼商店の基本情報
【2023年10月閉業】杉兼商店
〒250-0012 神奈川県小田原市本町3-6-20
0465-22-5051
定休日:火曜、土曜
営業時間:9:00~12:30、13:30~16:00
杉兼商店のFacebook
山一蒲鉾店の基本情報
山一蒲鉾店
〒250-0012 神奈川県小田原市本町1-13-15
0465-22-3651
定休日:元旦
営業時間:6:00〜18:00
山上蒲鉾店の基本情報
山上蒲鉾店
〒250-0004 神奈川県小田原市浜町3-15-2
0465-22-2228
定休日:火曜、土曜
営業時間:9:00~12:30、13:30~16:00
山上蒲鉾店のWebサイト
山上蒲鉾店のECサイト
山上蒲鉾店のFacebook、Twitter、YouTube、Cookpad
わきや商店の基本情報
わきや商店
〒250-0004 神奈川県小田原市浜町3-15-4
0465-24-1511
定休日:土曜
営業時間:9:00~17:00
わきや商店の楽天サイト
わきや商店のFacebook、Instagram、Twitter
伊勢兼商店の基本情報
伊勢兼商店
〒250-0004 神奈川県小田原市浜町3-15-5
0465-22-3375
定休日:不定休
営業時間:9:00~17:00
伊勢兼商店のWebサイト
伊勢兼商店のFacebook
小田原おでん本店の基本情報
小田原おでん本店
〒250-0004 神奈川県小田原市浜町3-11-30
0465-20-0320
定休日:月曜
営業時間:11:30~14:00、16:00〜21:00(L.O.)
小田原おでん本店のWebサイト
小田原おでん本店のFacebook
小田原おでん本店 お城通りミナカ小田原店
〒250-0011 神奈川県小田原市栄町1-1-15 ミナカ小田原2F
0465-43-8832
定休日:火曜
営業時間:11:30~14:00、16:00〜21:00