おでん種、蒲鉾店の過去と未来

東京おでんだねでは2019年10月から東京都内のおでん種専門店を巡り、おでん種を実際に味わってきた。その過程のなかでおでん種専門店が目に見えて減少していくのを感じ、いつかデータを用いてきちんと整理したいと思ってきた。データの収集や調査もすこしずつ進んできたので、今回は趣向を変えておでん種や蒲鉾店・メーカーの過去と未来を探っていきたいと思う。

用語の定義

おでん種にまつわる用語はたくさんあり、それらの定義はあいまいだ。話を進める前に用語の整理をしていこうと思う。なお、これは本記事での定義であり、一般的に用いる定義とは異なることをご留意願いたい。

おでん種、おでん種専門店の定義

一般的に、おでん種はおでん料理に入れる具材を指す。野菜や玉子、豆腐や蒲鉾など地方や店によって、その種類は多岐におよぶ。東京のおでん種専門店でも複数の製品を取り扱っているが、製造しているのは蒲鉾製品となり、厳密には揚げ蒲鉾と茹で蒲鉾が中心となる。

図1:蒲鉾製品の分類とおでん種専門店の扱う製品
図1:蒲鉾製品の分類とおでん種専門店の扱う製品(クリックして拡大)

揚げ蒲鉾には魚のすり身を揚げた「さつま揚」、同じくホタルジャコなど雑魚のすり身を揚げた「じゃこ天」、魚のすり身に野菜などの具材を加えて揚げたものが分類される。全国かまぼこ連合会の「かまぼこ製品図鑑」では、魚のすり身に具材を入れた製品の代表として「ごぼう天」があげられている。東京のおでん種専門店では、この内さつま揚とごぼう天(魚のすり身に具材を入れて揚げたもの)を中心に製造している(図1のA)。

また、揚げ蒲鉾のほかに茹で蒲鉾に分類されるはんぺん、つみれ、魚のすじも製造している(図1のB)。焼ちくわやなると巻も取り扱っているが、それらは自前で作らず他社の製品を仕入れている。

したがって、この記事で扱う「おでん種」は狭義に解釈して「揚げ蒲鉾と茹で蒲鉾」を指し、「おでん種専門店・メーカー」はそれらを製造・販売している店やメーカーを指す。

蒲鉾店、蒲鉾メーカーの定義

このあとに東京のおでん種専門店の分布や数に触れていくが、「揚げ蒲鉾と茹で蒲鉾のみを製造・販売する店・メーカー」の詳細データを入手するのは非常に困難だった。したがって、図1のCの「蒲鉾(かまぼこ)」に該当するデータを参照するので、蒸し蒲鉾や焼き蒲鉾を製造する店やメーカーが含まれていることをご理解いただきたい。

したがって、この記事で扱う「蒲鉾」は「蒸し蒲鉾、焼き蒲鉾、ちくわ・風味蒲鉾、茹で蒲鉾、揚げ蒲鉾」の総称で、「蒲鉾店・メーカー」はそれらの分類のうちいずれかを製造・販売している店やメーカーを指す。つまり「蒲鉾」は「おでん種(揚げ蒲鉾と茹で蒲鉾)」の上位分類だという解釈をしていただければ問題ない。

余談だが、おでん種専門店の店主たちは自身の店を「おでん種専門店」と呼ぶことは少ない。店名にもっとも使われているのが「蒲鉾店」(増田屋蒲鉾店佃忠蒲鉾店など)だ。蒲鉾という名称は平安時代から使われており、揚げ蒲鉾がおでん種として定着しはじめるのは戦後復興期から高度成長期あたりなので、歴史的に見ても「蒲鉾店」という名のほうが一般的だ。おでん種専門店の店主たちは蒲鉾店で修行してきたので、自分たちの店を「おでん種専門店」と呼ぶことに違和感を感じるのだろう。

また、「揚げ蒲鉾店」や「さつま揚専門店」などと呼ぶ店主もいる。揚げ蒲鉾は鹿児島のつけ揚げや沖縄のチキアーギ(チキアギ)が有名で、ベトナムなど東南アジアから伝わったという説(出典:小学館、金子喬一、2004、『築地蒲鉾屋四代目の築地案内』、118)、もしくは、中国から伝わったという説がある。150年以上前から日本に存在していたため(出典:勘場蒲鉾店)、つけ揚げが「さつま揚」と名を変えて関東に伝わったあとも、その名に誇りを持っているのだろう。もしくは、おでん汁に浸けると揚げ蒲鉾の味が汁に逃げてしまうので、おでんにせずにそのまま食べてもらいたいという気持ちのあらわれかもしれない。

東京の蒲鉾店・メーカーの分布

下記の図2は昭和50年(1975年)の東京都の蒲鉾店とメーカーの分布を示している。これを見ると、築地市場のある中央区に次いで足立区周辺と大田区周辺が多いことがわかる。

図2:1975年 東京の蒲鉾店とメーカー分布
図2:1975年 東京の蒲鉾店とメーカー分布(クリックして拡大)

この一因として、卸売市場の場所が影響していると推測する。
足立区には千住大橋の足立市場があり、大田区には大田市場に一部統合された大森市場があった。これらはどちらも水産品を扱っていることから、仕入れや卸の関係で周辺に蒲鉾を扱う店やメーカーが多かったのだろう。

このように推察するのであれば、築地のある中央区周辺にも蒲鉾店が多くあってもよいのだが、ちょっと少ないようにみえる。皇居や官公庁がある千代田区は例外としても、台東区や江東区、墨田区にもう少しあっていいはずだ。データを引用した日本食品経済社の「蒲鉾年鑑」は東京おでんだねの筆者が独自で調査して存在を確認した店が記載されていないこともあり、出典元がひとつだけではデータとしての精度がいまひとつということもある。また、市場の立地だけでは蒲鉾店とメーカーの分布の偏りを結論づけるには不十分なので、引き続き別の視点も加えて調査したほうがよさそうだ。神奈川県や埼玉県、千葉県に調査を広げてもよいだろう。

なお、東久留米と八王子にも水産卸売市場がある。東久留米市のデータは存在しなかったが、周辺には数軒確認できた。八王子市には2店舗存在した。

数を減らす東京の蒲鉾店

おでん種専門店の店主たちに聞くと、最盛期は岩戸景気(昭和33年〜36年)や東京オリンピック(昭和39年)があった昭和30年代後半から昭和40年代後半(1960〜1974年)くらいまでだという。

蒲鉾年鑑 平成31年度版。調査に使用したのは昭和50年度版
蒲鉾年鑑 平成31年度版。調査に使用したのは昭和50年度版

昭和50年(1975年)に日本食品経済社が出版した「蒲鉾年鑑 昭和50年度版」によると、昭和50年の東京都に存在した蒲鉾店とメーカーの数は276軒(社)だった。東京おでんだねの筆者が独自にリサーチしたところ、昨年から今年にかけて54軒(社)ほど残っている。つまり、約40年で1/5ほどに減少したことになる。

東京おでんだねが活動を始めた平成30年(2018年)10月から平成31年(2019年)4月までの東京の蒲鉾店とメーカーの分布図が下記の図3。インターネットと書籍をあさり、フィールドワークをメインに現在も存在しているか確認した。

図3:2019年  東京の蒲鉾店とメーカー分布
図3:2019年 東京の蒲鉾店とメーカー分布(クリックして拡大)

もっとも多いのが葛飾区、その次が中央区、品川区だ。それでも葛飾区で8店舗。そのほかは1〜3軒がほとんどだ。中野区、新宿区、千代田区が空洞化しているが、中野区は2017〜2018年、新宿区は2016年、千代田区は2014年くらいまでは残っていた。また、台東区は大手メーカーの丸善のみとなった。蒲鉾店とメーカーが現存している区もあと5〜10年の間になくなってしまう危険性が高い。

その理由のひとつは後継者問題だ。現在経営している蒲鉾店は70代から80代の店主が大半で、そろそろリタイヤしてしまう。後継者がいないので、自ずと閉業に追い込まれる。店主たちは一様に「身体が動かなくなったらやめようと思っている」とおっしゃっていた。

図4:東京都の蒲鉾店数:今後30年間の予測
図4:東京都の蒲鉾店数:今後30年間の予測(クリックして拡大)

図4は、東京おでんだねの筆者が予測する5年から30年後までの東京の蒲鉾店とメーカーの減少数だ。1軒ずつ実際に回ってみて、(1)現在の店主の年齢層、(2)後継者の有無、(3)後継者の年齢層で判断した。しきい値を75歳として、75歳までは現役、76歳以上は引退して店を閉めると仮定している。もちろん76歳以上でもバリバリ働いている方はいるので、必ずしもこのとおりになるとはかぎらない。また、後継者の候補はいるが、実際に継ぐかどうかは決まっておらず、継いだとしても早くに閉業してしまう可能性もある。したがって、この予測はあくまで参考として見ていただきたい。

前述のとおり、現在の店主の大半が70〜80代なので、今から5年後に35%、数にして19軒ほどが閉業する。残った店舗は後継者がいるか、2019年以前に代替わりが済んで次の世代が経営していることになる。約15年後にはふたたび高齢化によりゆるやかな減少がはじまり、30年後の2049年には15店舗、大手メーカーを除くと10店前後に減少するだろう。こうなってくると蒲鉾店は伝統産業のような希少性の高い存在になってしまう。

店主の高齢化と後継者不足が蒲鉾店減少の大きな要因だが、もう少し俯瞰すると遠洋漁業生産量の減少が大きく影響している。蒲鉾の原料となる魚は日本沿岸で獲れなくなると、グチ、スケトウダラ、クローカー(イシモチの一種)のように、別の魚を求めて遠洋漁業を拡大していった。とりわけスケトウダラは冷凍すり身による保存が可能になったおかげで供給量が増大し、蒲鉾の生産量もそれに比例して増大した。

遠洋漁業生産量のピークである昭和48年(1973年)には400万トンに迫ったが、オイルショックや昭和51〜52年(1976〜1977年)に起こった200海里問題を機に減少を続け、平成27年(2015年)では36万トンとなっている(水産庁、平成28年度 水産白書、(1)遠洋漁業等をめぐる国際情勢)。

遠洋漁業生産量の減少とともに原材料の確保が難しくなり、零細中小企業が多い蒲鉾業界は打撃を受ける。また、蒲鉾店にすり身を供給してきた大手水産企業は200海里の制限により、海外で生産されたすり身の輸入商社のようになっていく。そして、すり身の在庫調整を目的に蒲鉾製品を自社で本格的に製造するようになった。その製品(ちくわ)が非常に低い価格設定だったため、蒲鉾製品の一般市場価格が20年前の水準に戻る一因となった(出典:株式会社鈴廣蒲鉾本店、2005、『慶應・明治・大正・昭和、そして平成へ 鈴廣かまぼこの百四十年』)。こうして、個人の蒲鉾店は衰退の一途をたどっていった。

また、戦後は食糧難により動物性タンパク質が不足していたため、蒲鉾製品が重宝されていた時代であった。学校給食用に提供されたり、一般家庭でも親しまれていたが、高度成長成長期以降の食生活の改善や西洋化などが原因で若者が蒲鉾製品から遠ざかっていったことも蒲鉾店の減少の大きな一因だ。

そのほかに、蒲鉾店、とりわけおでん種専門店の商圏の中心である「商店街」というビジネスモデルの衰退も大いに関係しているし、擂潰機(らいかいき)など蒲鉾を製造するうえで必要な機材を提供するメーカーが都内に少なくなり、細かな修理に対応できなくなったことも関係している。

おでん種専門店の魅力

一方、私たちが今後おでん種を食べられるかどうかについては心配ない。紀文や鈴廣、大寅など大きく成長したメーカーがおでん種を提供してくれるし、コンビニのおでんもあるからだ。彼らは日々、品質も価格も供給量も安定した製品づくりに余念がない。大手メーカーは一級技能士の資格を持つ職人が伝統の技と味を守ろうとしているし、コンビニは蒲鉾メーカーを下請としているケースがある。できれば大手メーカーと組むだけでなく、ご当地ラーメンのように商店街のおでん種専門店とタッグを組んで、個性的で地域性のある商品を開発してほしいものである。

しかし、大手メーカーやコンビニのおでん種だけでは物足りない気がしてならない。おでん種は、店によっていろいろと個性があるほうがやっぱり嬉しい。

東京のおでん種専門店の野菜天
東京のおでん種専門店の野菜天

たとえば、野菜天というおでん種だけ見ても各店でこんなに違う。レシピも食感も味も異なり、個性がきらきら輝いている。筆者が好きなのは大谷口北町の蒲吉商店の野菜天だ。半分に切ると断面が民藝を代表する版画家の芹沢銈介の作品を思い起こさせる素晴らしいデザインで、インゲンと人参の食感も素晴らしい。野菜の味が口いっぱいに広がってとても美味しかった。

赤提灯がともるおでん屋さんやおしゃれなおでんBarなど、いわゆる外食系で扱うおでん種にも影響してくる。大根や巾着などは各店で手作りするだろうが、揚げ蒲鉾を作るのは少々手間がかかるのでおでん種専門店から仕入れる店もある。メーカーの量産品を使うのならかまわないだろうが、こだわりを売りにしている場合はおでん種専門店がなくなると困るだろう。代わりに創意工夫を凝らした揚げ蒲鉾以外の種が増えていくのかもしれないが、職人の技術に裏打ちされた伝統的なおでん種が姿を消すのは残念に思う。

増田屋蒲鉾店(堀切)に取材したときに、おかみさんがこんなエピソードを聞かせてくれた。
堀切の店主は過去に西新井の増田屋で修行を積んでいた。西新井の店が閉業してしばらくすると、中野で居酒屋を経営しているという男性が店に現れた。彼は若いころに親しんだ西新井の店の味が忘れられなくて、東京じゅうのおでん種専門店を3年も探しまわったらしい。堀切のおでん種の味を確かめると「同じ味だ」と感動して、それ以来ずっと仕入れているという。

地元や個人に愛され続けてきたおでん種を売りにする外食系の店があったら、あたたかみのあるおでんというジャンルにぴったりとはまって素敵だと思うがいかがだろう。

大手が占めるおでん種より、個人商店のバラエティ豊かなおでん種を選べる贅沢はなにものにも代えがたい。このままいくと、おでん種という職人文化が先細り、ひいては日本の食文化全体が貧しいものとなってしまうような気がしてならない。

そしてなにより、店主たちの個性あふれる人柄が魅力なのだ。おせっかいだったり、ぶっきらぼうだったり、人懐っこかったり、優しかったり。そんな人情を味わえなくなるのはとてもさびしいものだ。料理はけっして食べ物だけで成り立つものではなく、作り手と味わう者のコミュニケーションが必要不可欠だと思っている。

家庭の味、地元の味、日本の味が変化するのは時代の流れであり、仕方のないことだ。また、おでん種専門店の減少に対して、消費者ができることにはかぎりがある。しかし、松陰神社前にあったおがわ屋が閉業したとき地元も遠方も関係なく、老若男女がこぞってSNSでその事実を悲しんだ。おでん種をきっかけとして将来に失われていくもの、残していきたいものをあらためて考えなおしてみるのも無駄なことではないと思う。

全国かまぼこ連合会では蒲鉾製品の可能性を広く知ってもらうために「KAMABOKO ROAD TO 1000」やFacebookなど若者へのアプローチを進めている。蒲鉾製品が低カロリーでヘルシーなことや、洋風のおしゃれなレシピに活用できるなど、まだまだ私たちが知らないメリットが多い。東京おでんだねとしては、地元に根付いたおでん種専門店の活力に繋がるヒントがあればいいと考えており、このサイトでも都度アイデアを紹介できたらと思っている。

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