深川揚げという名のおでん種

深川揚げは魚のすり身にあさりを混ぜ込んだ揚げ蒲鉾のおでん種だ。江東区三好にお店を構える美好商店の深川揚げが有名だが、あさりが具材のおでん種を販売するおでん種専門店はいくつか存在する。今回は深川揚げとその元ネタともいうべき深川めしについて詳しく調べてみたい。

漁師の賄い飯から発展した深川めし

深川は町名でいえば江東区の深川1丁目と2丁目を指すが、広域には江東区の西側一帯を指す。名前の由来は江戸初期に摂津国(大阪)からやってきた深川八郎右衛門が開拓したことから、その地域を深川と呼ぶようになった。明治になってから一帯は深川区となり、戦後に城東区と合併して江東区となった。

松濤軒斎藤長秋著, 長谷川雪旦画「江戸名所図会 7巻 [18]」国立国会図書館
松濤軒斎藤長秋著, 長谷川雪旦画「江戸名所図会 7巻 [18]」国立国会図書館

深川といえば門前仲町の富岡八幡宮あたりを思い浮かべるが、以前は富岡八幡宮の表門を出て大島川(現在の大横川)を挟んだ先には海が広がっており、漁業が栄えていた。明暦の大火 (1657年) 以降は繁華街として賑わったという。上図は江戸名所図会の第7巻18冊に描かれた富岡八幡宮だが、右下に見える大島川の船着場からさらに進み、抱屋敷を越えた先が海だった。

光村写真部著「旅の家つと. 第29 都の巻 - 洲崎夕照」国立国会図書館
光村写真部著「旅の家つと. 第29 都の巻 – 洲崎夕照」国立国会図書館

上の写真は明治31〜35年(1898〜1902年)発行の写真集「旅の家つと」に収められた、洲崎(現在の木場から東陽町あたり)の写真だ。歌川広重の「名所江戸百景」の「深川洲崎十万坪」に描かれた場所で、深川と隣接している。現在は埋立地が続いているが、以前はすぐ目の前が海だった。養殖業が盛んであり、潮干狩りの名所としても有名だった。

漁業が盛んだった深川において、とりわけ貝類、なかでもアオヤギ(馬鹿貝)が有名で、剥き身を味噌で軽く煮たものをごはんにぶっかけた漁師の賄い飯は「深川めし」として愛され、次第に屋台で売られるようになった(参考:江東区深川江戸資料館「資料館ノート 第76号 – 江戸の名物・名産と江東地域2 – 深川猟師町と漁業」)。

「あさりではなくて、アオヤギなのか」と思うだろうが、これが食や大衆文化の複雑で曖昧なところだ。明治期になると大工のお弁当として炊き込みごはんが流行り、大正期に家庭料理に受け継がれ、簡単に手に入るあさりを使うようになったという。このスタイルが「深川めし」として定着し、ポピュラーになった。深川めしは昭和14年(1939年)に宮内庁が定めた「日本五大銘飯」のひとつに選ばれている。

東京都江東区富岡:深川宿 富岡八幡店

深川めし本来のぶっかけ飯を再現したのが清澄白河(三好)に本店がある深川宿だ。昭和62年(1987年)に創業し、富岡八幡宮の境内にも支店を構える。今回は東京メトロの広告で石原さとみさんも訪れた富岡八幡店にお邪魔をして、深川めしを味わってみた。

東京都江東区富岡:深川宿 富岡八幡店

深川宿ではぶっかけ飯と炊き込みご飯を同時に楽しめる「辰巳好み」というセット料理がおすすめだ。ぶっかけ飯は味噌仕立てとなっており、赤味噌と白味噌をブレンドしているそうだ。あさりのほかに、ネギの細切りと刻み海苔が加えてある。味噌の出汁とあさりのうまみがぎっしりと詰まっていてとても美味しい。実際に漁師が食べていたものはもっと塩辛く、ネギもぶつ切りだったそうだが、深川宿のものはとても上品な味わいだ。炊き込みご飯もあさりの味がふわっと広がり、両者とも甲乙つけがたい美味しさだ。

深川の名物となった美好商店の深川揚げ

さて、そろそろおでん種の深川揚げについて話を移していこうと思う。「深川」の名を冠するおでん種を販売している店舗は3軒あったが、そのうちの1軒である文京区大塚の栄屋蒲鉾店2020年3月に閉業してしまった。残る2軒の美好商店と蒲重蒲鉾店の深川揚げについて紹介していこう。

東京都江東区三好 江戸資料館通り:美好商店

美好商店は江東区三好で長年営業を続けており、深川を代表するおでん種専門店と言っても過言ではない。大正7年(1918年)に京都の西陣(壬生後に錦)で創業し、終戦時に三好の地に移転した。100年以上営業を続けている、東京のおでん種専門店のなかでも長い歴史を持つ老舗だ。

美好商店(江東区 三好) おでん種:深川揚げ

テレビでも数多く紹介されている深川揚げは、あさりのほかに長ネギと一味唐辛子が入っていて、磯の香りと清涼感、アクセントが入り混じる贅沢な味わいに仕上がっている。

東京都江東区三好 江戸資料館通り:美好商店(深川揚げ)

深川めしやあさりの佃煮を売る店舗がひしめく三好という深川のど真ん中で営業を続けているため、深川揚げが生み出されたのは必然ともいえる。現在ではご当地名物として、近くにある深川江戸資料館を訪れた観光客や地元の人々に人気の商品となっている。

あさりのおにぎりに着想を得た蒲重蒲鉾店の深川揚

深川揚げを取り扱うもう1軒は、杉並区阿佐谷の蒲重蒲鉾店だ。初代はちくわが有名な愛知県の豊橋出身で、修行をしてから昭和11年(1936年)に阿佐谷にやってきて蒲重蒲鉾店を開業した。

東京都杉並区阿佐谷南 阿佐谷パールセンター商店街:蒲重蒲鉾店

深川とは遠く離れた阿佐谷の土地で80年以上も営業を続けているにもかかわらず、なぜ深川揚げを取り扱っているのだろうか。店主の太田泰司さんに伺ってみた。

東京都江東区富岡:深川 伊勢屋の深川あさりおにぎり

太田さんによると、以前阿佐谷パールセンター商店街で営業していた深川 伊勢屋のあさり入りおにぎりからヒントを得たものだという。「きっと美味しいだろう」と思って作ってみたら評判がよく、かれこれ20年ほど販売している定番商品になったそうだ。

東京都江東区富岡:深川 伊勢屋

深川 伊勢屋といえば、門前仲町の深川仲町通り商店街に本店がある。深川宿の取材時に覗いてみると「深川あさりおにぎり」という商品を販売していた。おそらく阿佐谷の商店街にあったのは、このお店の支店か暖簾分けの店舗だったのだろう。

東京都杉並区阿佐谷南 阿佐谷パールセンター商店街:蒲重蒲鉾店のおでん種 深川揚

蒲重蒲鉾店の深川揚はあさり、ねぎ、唐辛子が入っている。唐辛子は他の具材の風味を消さない控えめな辛さだ。あさりの磯の風味がきちんと残っていて、ねぎがよいアクセントになっている。

東京都杉並区阿佐谷南 阿佐谷パールセンター商店街:蒲重蒲鉾店(深川揚)

美好商店のものとはテイストは異なれど、入っている具材は一緒だ。閉業した栄屋蒲鉾店の深川揚は唐辛子は入っていないが、やはりあさりとネギの組み合わせだった。誰がオリジナルで誰がアイデアを盗んだというわけではなく、深川めしを参考にしたか、もしくは単純に職人の勘によって生み出されたもっとも美味しい具材の組み合わせだったのだろう。

東京都江東区富岡:深川 伊勢屋

深川の地を歩いていると「深川」の名を冠したさまざまな食べ物に遭遇する。前述の深川 伊勢屋の食堂には「深川ラーメン」なるあさりが入ったラーメンがあるし、和菓子屋の小藤屋にはあさりが入った「深川あさり煎餅」が存在する。

東京都江東区富岡:小藤屋 門前仲町店

これだけさまざまな料理にあさりが使われているのであれば、揚げ蒲鉾の具材にもなりうるわけだ。ましてや餃子巻や焼売巻、ウインナー巻などが存在する揚げ蒲鉾業界ならば「美味しいなら、なんでもあり」という自由な発想で、同時多発的に生み出されていても不思議ではないだろう。

あさりを扱った揚げ蒲鉾のバリエーション

さらに、あさりを扱った揚げ蒲鉾はいくつもある。これらは「深川」という名前を冠していない。

あさりを使用した揚げ蒲鉾

あさり天、あさり揚げ、あさりねぎ揚げ、千住揚げと名前はそれぞれ異なるが、大体はあさりとネギ、唐辛子の組み合わせだ。えびすや蒲鉾店(蓮根)はネギの代わりにキャベツが入っているのが面白い。千住揚げはマルイシ増英の取締役の石田正胤さんと社員の小島茂久さんが考えたオリジナル商品だが、深川ではなく北千住の地名が入っているのが興味深い。

東京都江東区北砂 砂町銀座商店街:増英蒲鉾店

このほかにも、北砂の増英蒲鉾店のあさりかき揚などおつまみ用の揚げ蒲鉾も存在する。ちなみに増英蒲鉾店と同じ商店街にあるあさり屋さんの浅利めしは最高に美味しいので、ぜひ食べてみてもらいたい。

東京都江東区北砂 砂町銀座商店街:あさり屋さんの浅利めし

本家である深川めしにしても、深川揚げにしても、伝統に縛られずに形を変え続けているのが面白い。食する側のニーズ、具材の手に入りやすさ、時の経過による忘却、作り手の自由な発想、ありとあらゆるものがない混ぜになって、新たな味が生まれていく。ひとつのおでん種の歴史をひもといてみながら、食の可能性がどのように広がっていったのかを探ってみると面白いと思う。

美好商店の基本情報

美好商店
〒135-0022 東京都江東区三好2-12-7
03-3641-2929
定休日:日曜、祭日
営業時間:10:00~18:00
美好商店のWebサイト

蒲重蒲鉾店の基本情報

蒲重蒲鉾店
〒166-0004 東京都杉並区阿佐谷南1-47-10
03-3311-3543
定休日:水曜
営業時間:9:00~19:30
蒲重蒲鉾店のウェブサイト(阿佐谷パールセンター)

深川宿 富岡八幡店の基本情報

深川宿 富岡八幡店 (富岡八幡宮境内)
〒135-0022 東京都江東区三好1-6-7
03-3642-7878
定休日:月曜(祝日の場合は翌火曜)
営業時間:9:00~19:30平日11:30~15:00(LO14:30)、17:00~21:00(LO20:30)、土日祝11:30~17:00(LO16:30)
深川宿のウェブサイト

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