増田屋の系譜

おでん種専門店には暖簾(のれん)分けしたお店がたくさんあるが、なかでも「増田屋」は群を抜いている。現在営業しているのは東京の立石綾瀬京成小岩堀切西巣鴨の5店舗、埼玉県では浦和や与野にあり、千葉県にも関係が深いお店がある。今回は、かつて50店舗以上が存在した増田屋の歴史をひもといてみたい。

増田屋 - おでん種専門店

同じ屋号でもそれぞれ独立している暖簾分けのお店

暖簾分けは同じ屋号のお店を出すことを許可するもので、おでん種専門店(蒲鉾屋)にかぎらずあらゆる業種のお店で現在も行われている。元のお店の評判や信用があらかじめ付いてくるため、新たに商売を始める際には心強い味方になってくれる。

同じ屋号のお店だと、普通は支店のように資本関係があるのだと勘違いしてしまうが、基本的にはそれぞれのお店で独立している。また、フランチャイズのようにロイヤリティが必ず発生するわけではない。まったく無関係の人間に暖簾分けを行うことはないが、家族や親戚だけではなく、お店で働いていた奉公人も対象になる。

増田屋各店も資本関係はなく、それぞれが独立したおでん種専門店だ。親戚筋が別店舗を経営していることが多いが、時代を経て遠縁となっている場合も多い。

増田屋の元祖と系譜

東京おでんだねは東京で営業するすべてのおでん種専門店をまわったので、増田屋の5店舗にも実際に訪れた。また、東京以外のお店にも足を運んだ。各店舗の店主から個別にお話を伺っている際、暖簾分けした増田屋が集まる「増田屋会」の名簿を見せていただく機会があった。その名簿は約30年ほど前のもので、増田屋の発祥が紹介されていた。

増田屋蒲鉾店(豊島区 庚申塚)

それによると、増田屋の元祖となる埼玉県越谷市増林(ましばやし)村出身の中山彦太郎氏が明治20年(1887年)頃に芝宇田川町(渋谷ではなく現在の浜松町一丁目交差点あたり)の大国屋で修行したあと、明治28年(1895年)に御徒町で「増田屋」を創業したという。出身地の増林から「増」を、宇田川の「田」を取り「増田屋」という屋号になったそうだ。その後、御徒町の増田屋から、茶や町(新宿区西早稲田)、岩井町(横浜市)、福井町(台東区浅草橋)、番町(千代田区)が暖簾分けされ、さらに茶や町から立石のお店が独立したと記載されていた。

埼玉県越谷市増林

中山彦太郎氏の出身地とされる埼玉県越谷市増林に出かけてみた。増林は田畑が広がる場所で、JR武蔵野線の南越谷駅あたりからバスなどでアクセスできる。
越谷市役所のWebサイトによると、現在の増林は明治22年(1882年)に増林、増森、中島、東小林、花田という5つの村が統合してできたそうだ。増林の名前は林が多かったことに由来し、そこにめでたい文字である「増」をつけたという。

埼玉県越谷市増林:林泉寺

周辺を歩くと祠のような神社や庚申塚、林泉寺などの社寺が多く点在していることに気がつく。結局、中山彦太郎氏がどのように蒲鉾職人を目指して芝宇田川町へ移ったのかはわからずじまいだったが、彼もこれらの社寺に自身の蒲鉾職人としての将来を祈ったのだと思うとロマンを感じる。

東京都港区浜松町:浜松町一丁目交差点

次に、中山彦太郎氏が修行した芝宇田川町を尋ねた。
芝宇田川町は旧町名で、現在の浜松町一丁目交差点周辺(港区東新橋2丁目、新橋6丁目、浜松町1丁目、芝大門1丁目あたり)だ。大正13年(1924年)発行の「最近東京市商工名鑑」(東京市商工課編)によると、大国屋の住所は「芝区宇田川町21番地」となっており、現在の第一京浜(国道15号)辺りになる。柴又の大国屋の店主の証言では東京タワーが建つことによって昭和28年(1953年)に立ち退きになったというが、芝宇田川町と東京タワーはすこし離れているので影響はなかったのではないかと思う。推測だが、大国屋は芝宇田川町を通る第一京浜の道路拡幅の関係で立ち退きになったのではないだろうか。

東京都品川区中延:蒲眞(かましん)

余談だが、芝宇田川町の大国屋は、以前紹介した京島の大国屋柴又の大国屋幡ヶ谷の大国屋のルーツとなるお店でもある。荏原中延の蒲眞の店内に掲げられた品川区不動前の蒲貞の看板にも「芝公園大国屋」という屋号が並んでいたが、多くの蒲鉾店に影響を与えたお店であることは間違いない。

なお、中山彦太郎氏が開業した御徒町店の住所は「下谷区仲徒士町四丁目十三番地」、現在の台東区上野6丁目の昭和通り沿い付近にあったと思われる。前述の「最近東京市商工名鑑」に2代目の「中山仲太郎」の名で記載されていた。

諸説ある増田屋の発祥

一方で、立石の増田屋の店主に発祥をうかがうと、「増田屋の元祖は三人で商売を始めたのち、分化していった可能性がある。立石の初代はその内のひとりかもしれない」とおっしゃっていた。立石店の3代目店主は中山貴司さんで、元祖の中山彦太郎氏と同じ姓だ。このことから、立石店も元祖に深く関係している可能性は高い。

東京都葛飾区東立石:増田屋(立石)

立石の増田屋は初代の中山光義さんが昭和9年(1934年)に麻布で創業し、戦中に江戸川区の小松川へ移転、さらに昭和23年(1948年)に現在の立石に移転した。増田屋会の名簿によると、立石から四ツ木、高砂、本木、浦和、小岩、綾瀬とわかれ、さらにそこから六ツ木、堀切、上福岡、大宮へと暖簾分けされている。今も営業を続けるお店のほとんどは立石からの派生といえる。

増田屋蒲鉾店の系譜図
増田屋蒲鉾店の系譜図:クリックして拡大

中山貴司さんはお店を継ぐ際に綾瀬や四ツ木の店主に手ほどきを受けたそうだ。お父様の体調の関係で、蒲鉾づくりを教えてもらう時間がほとんどなかったからだ。かつて暖簾分けを行った師弟の関係から、次の世代へ引き継ぐために関係が逆転している。利益一辺倒な現代のフランチャイズとは異なる、人情味あふれる関係性が垣間見える。

東京以外に存在する増田屋

増田屋の元祖の出生地がある埼玉県にも多くの増田屋が存在した。そのなかでも有名なのが、浦和の増田屋だ。

埼玉県さいたま市浦和区高砂:浦和増田屋

ビルの1階がアーケード状になったナカギンザ商店街にあり、創業71年目なので昭和23年(1948年)前後の老舗だ。テレビなどのメディアでも頻繁に取り上げられている。

埼玉県さいたま市浦和区高砂:浦和増田屋

店主やおかみさんにお話を伺うと、一枚の古い写真を見せていただいた。昭和30年なので、創業して7年ほど経った頃だ。まだ屋根はなく、屋外の狭い路地の商店街だったようだ。

埼玉県さいたま市浦和区高砂:浦和増田屋

お店に掲げられている立派な木製の看板には暖簾分けされた立石はもちろん、名簿にも載っていないお店もたくさん掲載されている。名簿にあるお店は45軒ほどだったが、最盛期は50軒以上あったという証言もあるので興味深い。

埼玉県さいたま市浦和区高砂:浦和増田屋

こちらのおでん種は種類が豊富で、しかもそれぞれがとても大きい。とりわけ海老巻のエビが立派で感動したのだが、店主は「大きくないと美味しくないでしょ」と笑っていた。お話を伺っているときも浦和の地元客が押しかけていて、人気のほどがうかがえた。ナカギンザ商店街は2020年3月に建て替えが決定し、増田屋は別の場所で営業を続けるかどうかの瀬戸際に立たされている。大宮の増田屋も2019年に閉業してしまったが、なんとかして続けてほしいと思っている。

千葉県野田市:蒲鉾の八木橋

さらにもう1軒、名前は異なるが増田屋会に属していたお店を紹介しておきたい。千葉県野田市にある蒲鉾の八木橋だ。
このお店は以前「魚のすじの製造工程」や「八木竜太郎さん(蒲鉾の八木橋)インタビュー」で紹介しているが、こちらの初代店主は増田屋で修行をしていた。増田屋会の総会に参加していたりと関係は深い。増田屋会は八木橋のほかに、「入増」や「三増」、「丸成」など異なる屋号のお店も属しており、東京都板橋区にある蒲吉商店太洋かまぼこ店も入会していたようだ。

増田屋(立石)のおでん種(2回目)

今回、増田屋の系譜をまとめるにあたって、あらためて立石の増田屋を尋ねた。店主にインタビューすることが目的だったが、以前訪れた8月後半よりもおでん種が充実していたので、ついつい追加購入してしまった。

東京都葛飾区東立石:増田屋(立石)のおでん種

今回購入したのは10種類。時計回りに12時から、はんぺん、軟骨つくね、ギンナン巻、上つみれ、コーンボール、ガンモ、ベーコンポテト、玉ねぎ干しエビ、ロールキャベツ(中央上)、中華巻(中央下)。

東京都葛飾区東立石:増田屋(立石)のおでん種

いつものように白滝など煮えにくいものから投入して、練り物、はんぺんを温める程度に加えれば完成だ。

東京都葛飾区東立石:増田屋(立石)のおでん種 豊洲の石澤のはんぺん

夏に訪れたときに仕入れていなかったはんぺんは豊洲の石澤のものだ。サメ肉のうまみがしっかり出ていてとても美味しい。舌触りは非常になめらかだが、手作りの風合いもきちんと残っている。

東京都葛飾区東立石:増田屋(立石)のおでん種 ギンナン巻

ギンナン巻に入っている銀杏は、店主が殻と皮をひとつひとつ丁寧に剥いたものだ。水煮のものとは異なり、しっかりと香りが残っている。

東京都葛飾区東立石:増田屋(立石)のおでん種 コーンボール

コーンボールはボール状の魚のすり身にコーンが入ったおでん種だ。コーンのほどよい甘みが魚のすり身のやさしい味を引き立ててくれる。

東京都葛飾区東立石:増田屋(立石)のおでん種 ロールキャベツ

手作りのロールキャベツは市販のものとは異なり、とても大きくて食べ応えは抜群だ。生の挽肉を使っているので、うまみがぎっしり詰め込まれている。キャベツもシャキシャキだ。

東京都葛飾区東立石:増田屋(立石)のおでん種 玉ねぎ干しエビ

玉ねぎ干しエビは、天ぷらのかき揚げのような風合い。刻んだ玉ねぎのやさしい甘みと歯ざわりが最高だ。ほのかに香る干しエビが上品な雰囲気を醸している。

東京都葛飾区東立石:増田屋(立石)のおでん種 ベーコンポテト

ベーコンポテトは刻んだベーコンとじゃがいも、そしてコーンが入っている。ファットで洋風な組み合わせだが、魚のすり身と相性がよい。ポテトがほくほくで、子どもも大人も楽しめる味だ。

東京都葛飾区東立石:増田屋(立石)のおでん種 軟骨つくね

軟骨つくねはコリコリとした歯応えがとてもよく、噛むと音がするくらいだ。鶏肉のうまみもしっかりしていて、焼いて食べても美味しそうだ。

東京都葛飾区東立石:増田屋(立石)
増田屋(立石)のできたておでん

増田屋はかつて東京や埼玉、千葉のあらゆる場所に存在したが、今では数軒を残すのみとなった。しかし、現在でも同じ屋号を持つ店舗として最多を誇る。増田屋以外にも大国屋や愛川屋、九州屋なども暖簾分けしたお店が多く存在したが、今では1軒しかないお店がほとんどだ。葛飾区にある8軒のおでん種専門店のうち3軒が増田屋であり、都内最大数を有する葛飾区を下支えしている。

おでん種を味わうためにおでん種専門店を巡るのもいいが、今回のようにお店の歴史をひもといてみると異なる楽しみ方ができる。店主たちにお店の由来を聞いてみると気さくに答えてくれるので、おでん種やさんを訪れた際にはぜひたずねてみてほしい。

増田屋(立石)の基本情報

増田屋
〒124-0013 東京都葛飾区東立石4-50-3
03-3691-0477
定休日:日曜
営業時間:10:00~19:30
増田屋(立石)のWebサイト(葛飾区商店街連合会のWebサイト)

増田屋かまぼこ店(綾瀬)の基本情報

増田屋かまぼこ店
〒120-0005 東京都足立区綾瀬5-12−9
定休日:日曜
営業時間:9:00~19:00

増田屋蒲鉾店(京成小岩)の基本情報

増田屋蒲鉾店(京成小岩)
〒125-0053 東京都葛飾区鎌倉4-36-2
03-3658-9653
定休日:日曜、年末年始
営業時間:10:00~18:30
増田屋蒲鉾店(京成小岩)のWebサイト(かつしか商店街サイト)

増田屋蒲鉾店(堀切)の基本情報

増田屋蒲鉾店
〒124-0006 東京都葛飾区堀切7-7-14
03-3604-9473
定休日:日曜・祝日
営業時間:9:00~19:30

増田屋蒲鉾店(庚申塚)の基本情報

増田屋蒲鉾店(庚申塚)
〒170-0001 東京都豊島区西巣鴨3-9-3
03-3918-1674
定休日:日曜日
営業時間:10:00〜19:30
増田屋蒲鉾店(庚申塚)のウェブサイト

浦和増田屋本店(浦和)の基本情報

浦和増田屋本店(浦和)
〒330-0063 埼玉県さいたま市浦和区高砂2-12-5
048-822-6916
定休日:土曜、日曜、祝日
営業時間:10:00~17:00
浦和増田屋本店(浦和)のTwitter

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