東京のおでん種やさん一巡完了

2018年10月8日からほぼ毎週、東京のおでん種やさんをまわってきた。東京の23区から八王子市まで、その数50数軒。実際にお店へ行って話を聞き、おでん種を購入し、家で調理して味わい記事にした。すでに閉業しているお店があったり、夏季や連休シーズンはお休みのお店もあって難航したが、ほぼ1年ですべてを完了することができた。今回は、その記念としてすこしだけこの1年を振り返ってみたいと思う。

東京おでんだね

東京おでんだねの活動を始めたきっかけ

東京のおでん種やさんをめぐるきっかけとなったのは、幼少期に慣れ親しんだお店のおでん種をひさしぶりに購入したことだった。調理して味わうと、子どものころの懐かしい思い出、とりわけ家族団らんのあたたかな風景がよみがえってきて切なくも嬉しい気持ちになった。

東京都葛飾区鎌倉 千代田通商店街:増田屋蒲鉾店

そして「東京のほかの地域にもおでん種やさんがないか」と興味がわいて、調べてみることにした。すると、お店の数がどんどん減少していることがわかった。東京のおでん種やさんの記録を残しておくことと、その魅力を多くの人に伝えることを目的として、東京おでんだねが生まれることとなった。

ロゴやら記事やらいろいろと堅苦しいのでよく商業サイトと勘違いされるが、活動はすべて趣味の範疇で行い、商売っ気はゼロにした。アフィリエイトなどの広告も、ステマもやっていない。そのほうがピュアな気持ちでおでん種を味わえると思ったからだ。

おでん種やさんのリスト化

おでん種やさんの所在をネットでくまなく調べてリスト化し、国会図書館に収蔵されている文献や購入した専門書のリストと見比べながら過不足ないか確認した。最終的には1軒ごとにその場へ訪れて、営業しているかを確かめるフィールドワークを行った。かなり骨の折れる調査だったが、そのおかげで他の誰よりも東京のおでん種やさんの動向を把握していると自負するまでに至った。

東京のおでん種やさんの調査

こうして探し当てたお店をGoogleスプレッドシートにリスト化し、お店をまわるごとに記録していった。ほとんど調べ尽くしたと思っているが、いまだに取りこぼしがないか調査している。なお、大手メーカーと東京以外から進出してきたお店は除外している。

めぐり合った素敵な人々

おでん種やさんに訪問するようになってからは、大きな困難には遭遇していない。むしろ、素晴らしい出会いや体験の連続で、幸せなひとときだった。

東京のおでん種やさんで働く方々

筆者が東京のおでん種やさんをまわっていることを告げると、店主やおかみさん、従業員の方々は嬉しそうにお話をしてくださった。おでん種の製造に対するこだわりから、お店や商店街の歴史、病気や老後の心配、御子息の結婚や孫の成長まで、忙しいにもかかわらずたくさんお話してくださった。「ちょっと食べていきなよ」とおでんを振る舞っていただいたことも1度や2度ではない。本当に人情味があって、東京にはこんなに素敵な人たちがたくさんいるのだなと気づかせてくれた。また、ほぼすべてのお店が地元のお客さんを大事にしていることがわかった。

葛飾区立石の増田屋の店主は「なんでも答えるよ」と快くご協力いただき、堀切の増田屋蒲鉾店のおかみさんは「あなたはよい心を持った人ね」と励ましていただいた。砂町銀座の増英蒲鉾店のおかみさんにはお店や蒲鉾業界の歴史を丁寧に教えていただいたし、西八王子の梅屋蒲鉾店の店主とお母さまとはおみやげのやりとりをして心があたたかくなった。世田谷のや亀やの店主は魚のすり身の配合を変えるたびに「味見してみて」とご連絡いただいた。杉並区堀ノ内の丸佐(〇佐、まるさ)かまぼこ店の初代店主には厨房まで入らせていただいて、長時間お付き合いしていただいた。

この場では書ききれないが、訪れたすべてのおでん種やさんの方々に親切にしていただき、かけがえのない素敵な体験が得られたと思っている。

東京のおでん種やさんの減少

その一方で、時代の変化を目の当たりにして寂しい気持ちになった。東京のおでん種やさんが減少しているのは承知していたが、実際に訪れてみるとその傾向はかなり深刻だということを実感した。現在営業を続けるお店の店主の大半は70歳から80歳の世代で、後継者もいなく数年後には閉業する運命なのだ。

閉業した東京のおでん種やさん

今年4月には世田谷の松陰神社前の名店、おがわ屋が閉業した。老若男女に愛されたお店であるにもかかわらず、突然暖簾をおろすことになってショックだった。築地の佃権や十条のかねまさ蒲鉾店などの名店も軒並み閉業している。こういった傾向に危機感を持ったため東京おでんだねの活動を始めたわけだが、減少傾向をまとめた記事を書くなどして、啓蒙していこうと努力した。

東京都世田谷区若林 松陰神社通り商店街:おがわ屋

大きな時代の流れに対して、東京おでんだねの活動は非力であらがうことができないのはわかっている。しかし、おでん種やさんに訪れるたびになんとかできないかと考えてしまうのだ。今後もこの課題に取り組んでいくことが、東京おでんだねの活動のすべてと言ってもいいだろう。

共感し、応援をしていただいた人々

こうした東京おでんだねの活動に対して、たくさんの方々に共感していただき、応援していただいた。

活動を始めたばかりの昨年11月には、ちくわぶ料理研究家の丸山晶代さんにSNSで応援していただいた。北区赤羽のちくわぶ専門店である川口屋の記事を丸山さんのブログで紹介していただき、とても勇気づけられた。「ひとり時間」を楽しむWebメディア「DANRO」のライティングをされている土井大輔さんにはインタビュー記事を書いていただいた。そして、東京都蒲鉾水産加工業協同組合の理事である八木竜太郎さんには、全面的に活動を支援していただいた。魚のすじの製造工程インタビュー記事のご協力、かまぼこジャーナリストの土井雄弘さんや東京都優秀技能者知事賞(東京マイスター)受賞の紀文の秋元浩志さんに引き合わせていただいた。

各専門分野の第一線で活躍されている方々ばかりで、仕事に対するひたむきな姿勢に学ぶことが多かった。

また、おでんやおでん種を愛する人たちからもたくさん応援していただいた。
通い慣れたおでん種やさんが閉業してしまい、東京おでんだねのサイトで別のおでん種やさんを見つけた方々(いわゆるおでん種難民の方々)から、感謝のメッセージをいただいた。「記事におでん種やさんへの愛がこもっていて感動した」というメッセージを送っていただいた方に対しては、その方も同じくらいの熱量でおでん種やさんを愛しているのだとわかって嬉しく思った。

一巡目以降の活動はどうしよう?

正直いうと現在、東京すべてのおでん種やさんをまわってしまったので記事のネタに困っている。
今のところ2周目としてふたたび訪問して、各店の近況や新しいおでん種を紹介しようかなと思っている。また、店主だけでなく、お客さん側の人たちのインタビューも面白そうだ(我こそはという方はぜひご連絡ください)。加えて人気の高い「おでんの白滝の結び方・巻き方」のような調理方法などの豆知識を紹介する記事も増やせればいいと思っている。Twitterで知り合い、おでん種を通して震災後の復興に力を注ぐ宮城県石巻の水野水産や、八木さんのお知り合いの青森の丸石沼田商店にも訪れてお話を伺いたい。東京のおでん種屋さんと関係の深い小田原や銚子に取材に行くのもいいだろう。しかし、最近筆者の仕事環境が変わったので、毎週の更新から2週間に1度の更新にペースを落とすかもしれない。

東京都荒川区東尾久 おぐぎんざ商店街:九州屋蒲鉾店

東京のおでん種やさん、東京おでんだねを取材していただいた方々、記事にご協力いただいた方々、読者の方々、皆さまが活動を続ける支えになっています。応援していただき、本当にありがとうございます。そして、いつもおでん種のことばかり考えている筆者を嫌がらず、毎週のようにおでんを一緒に食べてくれるパートナーに深謝申し上げます。

これからも、東京おでんだねと東京のおでん種やさんをよろしくお願いします。

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